断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

午前中はひたすら年賀状の印刷。年々増えていき、今年は150枚程度となった。就職したらもっと増えるのだろう。

午後から科博へ。バイトに来ていた農大の福澤君に手伝ってもらい、大和田さんに空き箱を頂き、自分のヒゲブトハネカクシの標本の発送をする。とりあえず数ヶ月先までの研究に必要なものを選んで20箱を引越し先へ送る。

タツミ(現在は足柄工芸)の大インロウに150箱ほどあり、今後これらをどうやって移動するか悩ましい。1箱にだいたい300-500頭ほど入っており、少なく見積もっても5万頭。われながらよく標本を集めたものだと思う。ヒゲブトハネカクシ東洋一を維持するため、今後も集め続けたい。

19時からから科博のそばの「料麺館」で若手虫屋の会の忘年会。帰国からここへ来て確信したことがあった。他人の会話がすーっと頭へ入らないということである。アメリカで英語ばかり聞いていて、英語を分解する脳になってしまったことが原因のような気がする。また、英語をずっと聞いていると疲れてしまうので、頭が勝手にサボる癖がついてしまっているというのもある。今回はもっぱらいじめられ役で、本人を目の前にして私の悪口で盛り上がっていたが、そのおかげで終始にこやかに過ごすことができた。今月の初めに徳島の博物館の山田君の歓迎会があったようで、そこでも私の悪口で盛り上がったらしい。

21日に福富君に会ったときに壊れたパソコンを渡したのだが、もう直って返ってきた。メモリが焼けていたらしい。福富君のパソコン修理能力は本当にすごい。