断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

今日は杉並区のお宅へ標本の梱包と発送に伺った。そのお宅はかるたの私設博物館をされていて、いまは一時的に閉館中であるが、国内最大の有名な収蔵とのことだった。作業終了後、奥さんと息子さんにかるたの様々なお話をお聞きし、それが非常に面白かった。印象に残った内容のごく一部を紹介すると、江戸いろはがるたの「やすものがいのぜにうしない」は、安い女郎を買うと梅毒にかかって治療費で金を失うというのが江戸時代の一般的な解釈(意味)だったり(かるたの絵は鼻を失った患者)、「か」は長らく「かったい(癩)のかさ(瘡)うらみ」だったり、「虫づくし」、「花づくし」のカルタがあったり、カルタというのは実に当時の庶民の風俗が伝わるようなものであることを知った。
もちろん息遣いというのは、このような現在でいう差別用語交じりのものばかりではないが、上方かるたの「めくらのかきのぞき」など、そのようなことわざが多く使われていたのは事実のようだ。貧しい暮らしのなかで少しでも下の人の存在に安堵するという心理もあったのかもしれないが、それ以上に単純に「めくら」は盲人を指す日常語に過ぎなかったのだろう。
差別用語に関連して、最近、知人の方が某新聞の署名記事で「シノダチメクラチビゴミムシ」を使ったところ、本人の了承もなく勝手に「シノダチゴミムシ」に変えられてしまったという。「メクラ」が一般的な差別用語だとしても、「チビ」はやりすぎではないか。新聞の見識が知れたと言うものだ。そもそも「メクラ」にしても、それは盲人を指しているわけではなく、「シノダチメクラチビゴミムシ」という虫の名前の一部に過ぎないもので、差別用語ではない。全くばかげていて歯牙にもかからないが、この調子で「差別語」が狩られていくと、しまいには「貧乏人」、「馬鹿」など、少しでも弱者の意味合いを持つ言葉が全て使えなくなってしまうのではないだろうか。過敏なおもいやりは慇懃無礼と同じだ。
ところで、かるたの話しに戻るが、マツムシとスズムシの和名は、本当は実物とは逆に当てられたという説があるが、江戸時代の「虫づくし」では、今のマツムシに対して「まつむし」、スズムシに対して「すずむし」ときちんと書かれていた。
−−−
夕刻より亀澤さんと福富君と新大久保の近江家で雑談。18時半から23時までいて、食べすぎて飲みすぎた。