断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

今日も午後から3年生に標本作成のアルバイトに来てもらった。進む進む。マレーシアの毎晩の灯火で採集した微小甲虫がすべて終わった。マレーシアでは液の受け皿から拾って瓶に移すという作業を繰り返していたので、採れた虫をじっくり見るということはなかった。標本になって初めて、こんなのが採れていたのか、と感動することになる。Gombakで灯火採集をしていて気になるのは、どこでやっても渓流性のヒメドロムシが入るということ。意外に森の中を飛んでいるようだ。
関連して理学部2年生の有本君にも標本を作ってもらっているのだが、今日は追加の標本と箱を取りに来てもらった。標本作成で難しいのは甲虫の針刺しである。良い位置に刺す技術は一朝一夕では成し得ない。これは理屈ではなく、虫の体と針の位置の美的感覚の問題で、針を刺すべき位置というものがある。全く違った形の虫であっても、共通する絶対的な位置というのがあるのである。信じられないかもしれないが、本当のことなのだ。虫屋である有本君はその点、針刺しも安心して任せられる。
夕方より論文書き。少々進んだ。明日中に書き上げたい。
明日からは別の人に標本作成を始めてもらう。標本を作るよりも採る量のほうが多いので、不良債権のように虫が溜まっていくが、今年度は随分と消化できそうだ。

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<人様のブログから>
とある昆虫研究者のメモ:「はかりめ」。アナゴマニアにはたまらない店だ。ここは絶対に次回の帰京の際には行こう。最近、玄界灘のアナゴも相当おいしいと知ったが。
http://ghop.exblog.jp/11482747/
kinokomushiのオークランド留学日記:一理あるが、実際にはいろんな人が散々努力している。これほど自然史的な普及啓蒙書のある国もない。問題の多くの部分は国民性にあるだろう。誰のせいでもないし、日本で何をしても本質的には変わらないと私は思う。少なくとも研究者の努力が何かをがらりと変えることはありえない。これは諦めではなく、アメリカにいて身にしみてわかったことだ。
http://d.hatena.ne.jp/kinokomushi/20091130
むしのみち:「Bonin」はもはや使う意味がないだろう。私だったら「the Islands of Ogasawara-shotô」を初出にして、あとは「Ogasawara-shotô」にする。いつも英語の論文を書くとき、国名までは英語にして、それ以下の地名は徹底して現地名をそのままローマ字化することを心がけている。これは大げさに言うと哲学の問題で、「Mt. Fuji」なんて死んでも使わない。というのは半分冗談で、世界の地名を統一的かつ規則的に「英語化」することが事実上不可能であるため。
http://d.hatena.ne.jp/naturalist2008/20091210/1260406556