断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

昼過ぎに細石君と福岡市立こども病院・感染症センターへ行き、マラリアの予防薬を処方してもらう。問診の折、罹った際にもここで診てくれるのかと聞いたら、「ええ。ただし事前に電話を下さい」と言われた。メフロキン錠を7週間分(7錠)で9200円だった。現地だったら1錠数十円なのだが。せっかくなので味わって飲みこもう。
今日から岡山大学の宮竹先生の集中講義があり、夕方からの歓迎会に参加する。話しやすい先生だった。
その席で、学生さんと「分類に一定の基準がないのかおかしいのではないですか」という議論が始まり、私は「そんなの存在する道理がない」と白熱し始めたのだが、とたんに冷静になって、そういうことは学生同士でよく話し合いなさい。そのほうがお互いに役に立つと議論を打ち切った。
10年以上前だろうか、私が修士のとき、evolveというメーリングリストで、「種問題」から始まって、「分類は科学か」という議論が盛んに交わされたことがある。分類学に対する批判的な主張の多くは単純な認識不足と感じられたが、一方でこちらの誤解を気付かせる大変に有意義な意見もあった。そして、メーリングリストの議論と平行に、研究室でも同様の議論が沸きあがった。私のいた研究室は分類屋(もちろん分類学の擁護派)と生態屋(分類学の科学性に対して否定的な人もいた)がおり、それこそ連日連夜話しあうこととなり、ほとんど喧嘩に近い論争のようなこともあった。そのようなこともあって、これは結果的に幸運なことであったが、われわれは「分類学」の重要な問題点について自分の考えをよく練る機会を得ることができた。もちろん、互いに納得できる結論が得られるはずもなく、議論はいくつかの対極へ収束するのみであったが、話し合ったこと自体が何物にも換えがたい経験になったと思う。
だから分類学に一定の基準がない、いわば再現性が薄いという問題はすでに散々話し合われたことであり、過去の議論で収束したいくつかの対極的な意見を挙げて説明すれば手っ取り早い。しかし、それをしてしまったのでは意味がない。どうかその調子で学生同士で話しあって欲しいし、今でも意味のある議論だと思う。