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断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

桜散る

構内の桜が散り始めた。そして私の科研費(若A)も、想定内ではあったが、花と散った。

昨日は標本箱の運搬作業で疲れ果ててしまった。今日は午前中にたっぷり休んで、近所のマックで本を読み、夕方から出勤した。

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EsakiaのPDFが届いたので、先日の各記事のダウンロード先を貼り付けた。

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夕方、新しく修士1年として九大に入学する河野君が顔を見せに来てくれた。さっそく、今週タナゴ釣りに行くことになった。

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河野君は筋金入りの虫屋で、趣味は渋いが虫の好みははっきりしている。そんな彼は何を研究しようか迷っている。

虫屋の学生が自分の好きな虫を研究すると不幸な結果につながる可能性がとても高い。これは過去にさまざまな例を見てきた。好きという考えを一切捨てて、純粋に生物として面白い虫を探すのが賢い考え方である。

「好きでもない虫を研究」というと憂鬱になるかもしれないが、不思議と研究をやっているうちに、最初は地味に感じた虫がどんな虫より美しく見えるようになるものである。かくいう私もハネカクシには微塵も興味がなかったが、始めてみるととてもかっこよく見える。(研究対象を美しく思うというのは、大切な姿勢だと思う。)

同じようにして、農業に有益であるとか、人類の役に立つとか、最初から思っていもいない大義をかかげるのもばかげている。そういう夢のような物語を描くのは研究費をとるうえでは免れないが、最初から自分にウソをつくような真似はやめたほうがいい。(もちろん、心から日本の農業に貢献したいとか、殊勝な考えを持っていれば別だけど。)

とにかく、自分はもちろん、他人が聞いても面白いだろうなと思う研究対象を探すことである。また、その「他人」をどの範囲まで想定するかも大事なことである。

問題は学生の知識でそういう材料を探せるかどうかである。そうなると教員の意見が大切になることが多いのだが、この競争の厳しいご時世、教員の責任はますます重くなるのかもしれない。あるいは、その時点で学生の素質はある程度決まるのだろうか。