断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

海外の野外調査で気をつけること

海外で一番怖いのは人である。だから海外に調査に行くと、出来るだけ早く都会を抜け出し郊外へ、そして人の少ない調査地へと急ぐのが鉄則である。どの国でも田舎は安全なことが多い。やむを得ず街中に滞在する際には、相当に気を張らなくてはならない。場合によっては、ホテルの部屋に入るときにベッドの下に人が隠れていないか確認したり、スーツケースを家具に結びつけて外出する必要もある。

また、事前に現地の宗教や文化をある程度調べておくのも重要である。とくにイスラムの国では日本では当たり前のことが重大な問題につながることもある。よく、何も情報を持たずに海外に行きたいという人がいて、たしかに面白いのかもしれないが、それは無謀であると同時に、ただの無礼である。

犯罪対策や文化の問題は国や地域によって千差万別。キリがないので、ここでは感染症の話をしたい。

まず、もっとも怖いのは蚊である。マラリアを筆頭に、さまざまな恐ろしい病気を媒介する。蚊が媒介する感染症に限らず、どこの国に行くにも、事前に現地の流行病を調べておくのは鉄則である。そして蚊のグループによって媒介する病気が異なるので、それらの蚊の外見の特徴や活動時間なども頭に入れておくと、より確実な対策が可能となる。マラリアを媒介するハマダラカ類の特徴などは基本中の基本であろう。刺される可能性のある状況では、虫除けスプレーやクリームを塗布。ディート含有率の高いものは後述のダニにも効果がある。

言わずもがな、狂犬病も怖い。あらゆる哺乳類が感染し、媒介者となる。発症したらほぼ確実に死ぬ。狂犬病がない国の方が少ないくらいで、外国では犬猫やその他の哺乳類にも決して触れてはならない。野外調査をする人は事前に予防接種を打っておくべきだ(輸入ワクチンが確実)。咬まれた後にも追加接種が必要になるが、事前に免疫があるとないとでは大きく対処が変わる。

次に怖いのは毒ヘビである。出会う機会が少ないので順位を下げたが、咬まれたら数時間以内に死ぬようなヘビもおり、野外活動では細心の注意を払う必要がある。足元を咬まれることが圧倒的に多いので、長靴や軽登山靴を履くのが基本で、毒牙が届く確率を出来るだけ減らす必要がある。また、万が一咬まれたら場合、場合によっては血清が必要になるが、ヘビの種名がわからなければ話しにならない。世界中に熱帯地方の各地に致死的な毒ヘビがいるので、行く前によく調べておくべきである。同定に自信がない場合は、自分を咬んだヘビを殺して確保しておくのが確実である。無毒のヘビによく似た致死的な毒ヘビもいるので、どんなヘビも侮るべからず。

他に怖いのはダニで、各地にマダニやツツガムシが媒介する恐ろしい風土病がある。マダニに関しては熱帯より温帯の方が深刻で、とくにヨーロッパから極東ロシアにかけて症例の多いダニ脳炎は恐ろしい(ヨーロッパやロシアでは予防接種がある)。これは北海道でも記録があるので気をつけたい。アフリカにもいくつかマダニ媒介の風土病があるし、北アメリカや日本でも危険である。

あと、淀んだ淡水(小さな沼や水溜り)には決して触れない。皮膚から感染する寄生虫がいる可能性や、そこで糞便をした動物の感染症にかかる危険性もある。熱帯林では雨季になるとあちこちに水たまりがあるのが当たり前なので、やはり長靴を履くのは大切である。

その他、南米でサシガメが媒介するシャーガス病、アフリカでツェツェバエが媒介する睡眠病やブユが媒介する河川盲目症、南米とアフリカ双方でリ―シュマニア症を媒介するサシチョウバエなどもあり、とにかく吸血性の虫には気をつけたい。とくに人類と吸血性昆虫の歴史が古いアフリカでは、あらゆる吸血性の昆虫が何らかの感染症を媒介する。ハチやアリ、毒毛虫、ヒルなどもイヤだが、特別なアレルギーがない限り、感染症に比べたら大した問題ではない。

とにかく海外、とくに熱帯地方に行く場合には、事前に現地の感染症の情報を徹底的に調べておくこと。日本に病気を持ち帰っても診断できる医師がほとんどいないので、症状などもしっかり頭に入れて、自分である程度診断しつつ、万が一の場合には細かな情報や該当する病気の可能性を医師に伝える必要がある。

このような問題に関しては、研究者でも脇の甘い人が多い。蚊の対策が不十分な人、調査歴が長いのに狂犬病の予防接種を打ったことがない人など、調査の安全対策の奥深さがわかっていない。それは現地の文化や生物多様性に関する知識が浅いことも端的に示している。当たり前だが、うちの学生には徹底して指導するようにしている。