断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

生き物屋が家を買う

前に書いたように、家を買う動機は動植物を存分に飼育・栽培するためだった。当初は家を建てようと思っていたが、途中から中古住宅か建て売りの可能性も視野に入れ、家探しをした。たくさんの本を読んで勉強し、あちこち見てから契約を決めた。引っ越しから5カ月がたったが、ここを買って正解だったと思っている。記憶の鮮明なうちに、家えらびの際に気を付けていた点をまとめたい。

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広い土地 当然大切。ある程度の広さの建物があり、さらに庭の利用を考えると、最低50坪。それ以下だと、遊びに使える土地がほとんどないと思ってよい。これは絶対に後悔しそうだったので、私は60坪以上を条件とした。かといって100坪以上あると、こんどは管理が大変で、現実性に欠く。

南側に道路のある土地 日当たりが必要な場合、もっとも大事な条件。しかし、一番人気があるのでなかなか出物がない。何度妥協しそうになったことか。

低層住宅地域  せっかく日当たりのよい土地が手に入っても、目の前に高い建物が建ってしまったら、元も子もない。

静か 見に行った場所によっては、近くに交通量の多い道路があった。そして夜にも見に行くと、案外うるさいことがわかって、やめたこともあった。良い家が見つかったら、不動産屋さんに頼んで、夜に入れてもらうのが大事。

高速道路から遠い 静かという条件にも重なるが、排ガスが気になる。

平坦地 福岡は山がちで、斜面で段差のある土地が多い。2階分ほどの階段を上がって、ようやく玄関に着くような土地も少なくない。しかし、歳をとるときつくなるだろうし、崖条例や擁壁の寿命等で、立て替えに困難が生じ、資産価値の問題にもつながる。よって平坦地が良い。段差のある土地の場合、土を足したところより、土を削ったほうが安定しているので、調べる必要がある。

少し高台で川から遠い 過去の水害記録の記載された地図は役所で手に入る。また、地形と標高からも想像はつく。糸島市は線路沿いや202号線付近に水害を経験した場所が多く、できるだけ避けた。高台でも案外平坦地はある。

山や崖から遠い 同じように、崖の近くでは、地滑り等の災害がある可能性がある。土砂災害警戒区域の宅地も結構あって、事前に調べると安心。でも、水害同様滅多に起きるものではない。これらは火災保険の金額にも関係する。

中古は築10年程度 福岡は人気なので、築5年程度の中古住宅はほぼ皆無。築10年前後もかなり希少である。それらは一家離散や転勤などによって売り払われた貴重な物件である。多くの中古住宅は築20-30年で、まだまだ住めるのだが、資産価値はゼロだし、耐震性に問題があることが多い(2000年6月以前は耐震基準が甘かった)。耐震補強は高くつく。

駅からの距離 最初は徒歩15分で便利な駅を目標にしていたが、駅からの距離は価格に直結するため、だんだんと妥協していった。それでも、あまり遠いと、車に乗れなくなったときに不便である。駅にもいろいろあるが、便利な駅から20分程度以内を目安とした。

価格 大切だが、判断に迷うものではない。だいたい相場というものがあって、たくさん見て行くとわかる。私は年齢の関係でローンの期間が限られているので、新築なら4000万円程度、中古なら3000万円以内と決めていた。

建築会社 会社によって建物の価格が大きく異なる。安さを売りにする建築会社は、やはりそれなりの造りである。セキスイなどの高級住宅はやはり良くできているが、とても手が届かない。建てた会社の実績や評判を調べるの大事。屋根裏や床下も確認して、作りの良さや手抜きのなさを自分で確認する必要もある。

 幸運にも、上記の条件に合う中古住宅を見つけて、下見の直後にすぐに決めた。まったく迷いはなかった。その前に何十件も見ていて、目が肥えていたからである。勝因はこれに尽きる。少しでも気になる出物があれば、とりあえず見に行くのが大事で、その際に学ぶことも多い。

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その他、重要な条件

床面積 だいたい100-120平米前後が平均で、住みやすい、最近の中古には、老人の2人暮らし用に作られた60平米程度の平屋も結構あった。また過去に大家族が住んでいた150平米以上の大きな家も結構ある。広いと掃除が大変だし、空調が行きとどかないし、電気代がかかる。広すぎる家は避けた。

水道は20mm径  水の勢いの問題である。古い家屋だと13mm径だが、最近は2階にトイレがあるのが普通だし、庭の水道など、蛇口数を考えると、20mmが良い。私の家は、どういうわけか13mm。水槽の水替えに少し時間がかかる程度で、2階にトイレがあるが、それほど不便は感じていない。

24時間換気 新しい家には必ずついていて、換気する機械の種類や、空気の取り込み口・吐き出し口が異なる。よく調べて良いものを。家がジメジメしないし、空気の循環でカビなどが生えにくい。

新興住宅地 福岡の田舎では、古い住宅地だと、各種の当番や役員で忙しいことが多いという。とくに糸島市は大変だと聞いていた。しかし、新しい住宅地だと、そのようなしがらみがない。

家の前の道路の幅が広い 些細なことかもしれないが、車の出し入れのストレスが少ない。最近では4mが義務付けられているが、4mちょうどだと、かなり車庫入れが難しくなる。ちなみに道路幅が4m以下だと、建て替えの際に、その分の土地を道路に供出しなければいけない。

複数のスーパーが近くにある 買い物の選択肢が多いのは、実は結構大事だとわかった。今の場所は、いろいろまわるには車が必要だが、どこも駐車場が広くて、不便はない。買い物に関しては、天神近くに住んでいた時より、かなり便利だし、安く買える。糸島の新鮮な野菜や海産物も容易に買える。

近所の人の良さ 近所づきあいも大事だし、おかしな人がいたら困る。売主に聞くのが一番だが、周囲の人と話してみるのも大事。

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新しい家のその他の良かった点

海が近い これも選んだ理由だが、透明度5m以上の海に車で10分で着くのがすばらしい。

山が近い 山が見える。森も見える。いいものである。

屋根にソーラー発電 屋根一面についていて、冬季をのぞく昼間は電気代が一切かからないうえ、売電で収入があることがわかった。売主さんが3.11の際につけてくださったそうだ。

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新しい家でちょっと嫌な点

駅から少し遠い 最寄の駅までは徒歩7-8分なのだが、そこは本数が少ない。大きな駅までは徒歩20分程度かかる。バスで通勤しているので、たいしたことはないが、たまに電車に乗ると不便を感じる。

ブタの匂い 結構遠いところだが、養豚場があるようで、風向きによっては堆肥のような匂いがする。夏が気になるところ。糸島市中央部ほぼ全域の問題かもしれない。

要するにほとんど不満はない。

父の死

昨年の10月に父が死んだ。77歳だった。

11年前に奄美大島の南に近接する加計呂麻島に移住し、まさに悠々自適に暮らしていたところ、数年前に大腸癌が見つかった。手術は成功し、その後、こまめに検査を受けていたが、昨年の初めに肺へ転移していたことが発覚した。時すでに遅しで、手術も抗癌剤治療もできる状態ではなく、余命10カ月と告げられた。

昭和16年、父は疎開先で祖母の実家である千葉県の大網で生まれた。戦後しばらくして丸山家のある東京に戻り、東京で育った。祖父は職業軍人で、父の名の「勲夫」の由来は言わずもがなである。戦後、祖父はつぶしがきかず、仕事に困り、丸山家は随分とお金に苦労したようだ。そしてその祖父も56歳で若死し、父は大学を途中でやめて、まだ子供だった叔父と叔母を祖母とともに育てた。

父は大学中退後に家電会社に就職。しかし、サラリーマンは合わなかったのだろう。それからは飲食店を中心に商売をしていたようだ。私が子供の頃は竹橋で喫茶店をやっていて、夏と冬に従業員の社員旅行があって、それについていくのが楽しみだった。最後に長くやったのは、エアコン取り付けなどの設備工事で、60歳半ばで引退した。

生き物が好きで、老後もいろんな生き物を飼っていた。加計呂麻島でも磯で魚貝を採ったり、柑橘類や野菜を作るのが楽しみだったようだ。

余命幾ばくもないとわかって、父は加計呂麻島の家を引き払い、東京に戻ってきた。男親と息子とのよくある関係で、あまり会話はなかったが、私はできるだけ東京の実家に帰った。江戸っ子気質で何事も潔い父は、運命だから仕方ないと諦め、ゆったりとした時間を過ごしていた、

夏ごろにはかなり悪くなり、科博の昆虫展を見せてやることができなかったのは残念だった。肺癌はかなりの痛みを伴うそうで、鎮痛剤の投薬量も日に日に増えて行ったが、一切の泣き言は言わなかった。

秋になると譫妄(せんもう)という痴呆に似た症状が出てきて、昼夜逆転して母を困らせた。ある朝、母が前の晩の様子を話すと、父は大声で泣きながら「すみませんでした」と謝ったという。

10代で社会に放り出され、弟と妹を育てつつ、一人でなんでもしてきた父にとって、言うことの利かない体で迷惑をかけるのが心底情けなかったに違いない。そんな風に弱ってしまった父を見て、悲しみとともに、父がもうすぐ死ぬという実感がようやくわいてきた。

とにかく愚痴や泣き言を言わない父であったが、死ぬ直前に子供の頃に苦労した思い出を母に話したそうだ。それからさらに譫妄が進み、病院に入ったあと、数日して息を引き取った。

父の死を前にして、自分の死についても考える機会が多くなった。近親者の寿命を考えると、私もあと30-40年がせいぜいだろう。最近はとにかく忙しく、自分の研究時間さえなかなか取れない。残された時間のことを考えて毎日を過ごしたいと思った。

 

ガガイモ好きを増やしたい

私が多肉ガガイモ(ガガイモ亜科スタペリア連)を集めているのは、このブログでも何度か書いた通りである。昨年秋に一戸建てに引っ越す後押しをしたのも多肉ガガイモで、温室で上手く育てたいというのが大きかった。

こんな風に夢中になっている多肉ガガイモ(以下、ガガイモ )ではあるが、日本の愛好家はとても少ない。根強い人気はあるにはあるが、ガガイモだけという人はほとんどいないだろう。しかし、ヨーロッパではガガイモ専門の趣味人がかなりいる。ヨーロッパ人会員を中心とした国際ガガイモ学会(ガガイモ亜科全体だが、記事はスタペリア連中心)もあるし、フェイスブックのガガイモグループもヨーロッパ人を中心に1万人を超える。(タイ人や台湾人も多い。)

ガガイモの魅力は何と言ってもその珍奇な花である。ハエ媒介という共通性も手伝ってか、一部はミニラフレシアのような姿で、匂いこそ強烈だが、独特の美しさがある。乾燥地に咲く特異な花ということで、砂漠のランと評されることも多い。また、茎もそれ自体が美しい。程よく陽に当てると迷彩柄の浮かび出るものあるし、サボテンやエウフォルビアと収斂しているトゲトゲや丸い形のものもある。

それではなぜ日本で人気がないのか。よくわからないのだが、おそらくまだその魅力が十分に広まっていないのと、一部の入門種を除いて栽培の難しさがあるのではないだろうか。栽培が難しいので、魅力的な花を見ることなく終わってしまう人が多いものと思われる。交流のあるドイツ人愛好家曰く、グループとしての平均的な難しさは多肉植物の中では指折りとのことだった。

私は2年前に本格再開した初心者だが、だんだんとコツがわかってきた。大切なのは、しっかりとした送風(送風機で風を当てるのが絶対)、十分な保温(多くは20~30℃が適温)、適当な水やり(多肉としては多めだが、数日で乾く量)、弱い日射(直射を好む種は少ない)、害虫防除(カイガラムシとハダニ)、殺菌(フサリウムが怖い)である。これらの点に注意すれば、多少とも園芸歴のある人であれば、それほど難しいものではない。

目下の悩みは、愛好家が少ないために、日本国内でほとんど流通しておらず、流通しているもののほとんどが同定間違いや雑種で、珍しいものは自分で輸入するほかないことである。しかしこれも、昨年末からの植物検疫の締め付けで少々難しくなってしまった。

しばらくはSNSで布教してファンを増やし、数年後に納得のいく材料が揃ったときに、ガガイモの本を出したいと思っている。多肉植物の栽培指南書は数多あるが、ガガイモはまるごと割愛されているか、間違ったことが書かれているものが多い。また、栽培指南書は揃って入門編ばかりで、きちんとした栽培の理屈や、高等技術が出ているものはほとんどない。こういう目標があると栽培にも熱が入るかというものである。

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城計画6 畑作戦

家庭菜園は究極の園芸趣味の一つだと思う。単純に食べる目的でやっている人は多くないはずだ。それなら八百屋でやった方が安くつく。野菜を作るのは基本的に難しい。野菜によっては簡単にできるにはできるけど、立派なものをたくさん作るのには大きな壁があり、かなりの高等技術である。良いものが出来たときは、それを美しいと思う瞬間もある。これを園芸と言わずになんと言おうか。

それはさておき、2008年に九大に赴任して、官舎に住み始めてから、その中庭にある花壇で家庭菜園を始めた。子供の頃から植物を育てるのが好きだったので、これで思い切りできると嬉しかった。

それから2015年に中央区の桜坂に引っ越して、思い切りやろうと、西区の今宿上原にあるJAの菜園を借りた。50平米ほどあって、広大である。機械なしに作業できる限界の広さに近い。

ここでの作業は楽しかったのだが、問題は遠いことである。車で自宅から30分以上かかるし、忙しい時には数週間も行けない。夏場は、久しぶりに行くと雑草でジャングルのようになっていたし、ナスのように水を必要かとするものはうまくいかない。そもそも、オクラやズッキーニのような果実の成長の早い野菜は収穫がまともに出来ない。さらに、直播の野菜については、頻繁に水をやりに行けずに発芽に失敗することも多かった。

また、その畑は水田跡の粘土質で、土が重いうえに水はけも悪く、毎年大量の堆肥を混ぜても、土作りには限界があった。

いつしか庭で家庭菜園ができたらと夢想した。庭にあれば毎日世話や収穫ができる。もちろん水やりもできる。今回、家を選ぶ際、家庭菜園ができることも重要な条件とした。

はたして購入した家には、庭の拡張後に、南向きに80平米ほどの庭ができた。15平米はサンルームの基礎に使ってしまったが、約50平米は純粋に畑に使える。

庭の拡張の際に土が足りなくなったので、家庭菜園にも使えるという真砂土を買って、補充した。2トンほどで18000円だった。本当は黒土が欲しかったのだが、福岡近郊で採れるところがなくなっており、鹿児島から仕入れるそうで、造園屋さんに真砂土で充分だと言われた。粘土よりはるかにマシである。ダンプで駐車場に下ろしてもらったのだが、何しろ2トン。これをスコップで庭に入れるのが大変だった。

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次にホームセンターに通って、40リットルの堆肥を15袋ほど買って、苦土石灰とともに土に混ぜ込んだ。これは少しずつ進めた。この作業はスコップとクワだけではとても無理。いろいろ調べて買ったリョービの電動耕運機が多いに役立った。かなり馬力があって、あっという間に終わる。エンジン式だと音がうるさくて、住宅地には向かないのでこれにしたが、とても静かで、正解だった。ただし、この駆動中の機械を支えるのにかなりの腕力が必要。この際、土の中から、たくさんのチガヤの茎が出てきた。厄介な雑草なので、できる限り丁寧に取り除いた。

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実は引っ越し時がタマネギの植え付け時期だったので、もともと土のあった場所に畝を3つだけ作って、急いで植えていた。それから忙しくて時間が空いたが、つい先日、天気の日を狙い、残りの畝を急いで作った。なかなか良い土になり、堆肥と新しい真砂土の相性も良い。引っ越し時にポットに種を蒔いたソラマメも植え付けた。これから他の野菜を植えるのも楽しみだ。

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畝ごとに杭を打ち込んだが、これは水やりの際にホースで苗を傷つけないためのものである。

果樹の苗も植えたが、その話は次に。

城計画5 サンルーム高温事件と近況

10月末、サンルームが出来上がってすぐに大半の植物を移動した。それまではベランダに並べていたが、気温の低下で弱り始めていたのである。一部のガガイモは15度を切ると極端に弱ってしまう。

サンルームの問題は、時に高温になりすぎてしまうことである。そこで、あらかじめサーモスタット付きの換気扇(パナソニックの200ミリのパイプファンを2つ)を取り付け、高温時には空気が抜けるようにした。また、電気式のパネルヒーターを置いて、夜間の保温とした。

それから移動の数日後、晴れた日にサンルームを見に行ったところ、なんと50度を超えている。サンルームを締め切っていたうえ、なぜか換気扇が作動していなかったのである。

また、室内に遮光ネットを張っていたが、これも少なすぎ、サンルーム 内の日差しも強い。そもそもガガイモは強い日差しに弱いのだ。

ガガイモを触ると熱い。日差しの強いところに置いたものは60度近くになっていそうだった。いくつかのガガイモは根元からグニャリと曲がっていた。

あわてて窓を開け、それから高温対策を考えた。まず、換気扇内蔵のサーモスタットがダメだったので、外付けのサーモスタットに取り替えた。次に遮光ネットを買い足した。また、窓を少し開け、空気が入るようにした。換気扇を回すだけでは空気がが抜けない。同時に外気が入らないといけないのだ。考えてみれば当たり前だが、気づかなかった。何事も経験である。

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いくつかのガガイモはその場でダメになったことが明白だった。とくに子苗がすべて昇天した。ここで10鉢くらいがダメになった。残りも全部ダメになるのではないかと焦ったが、大切な株の30鉢くらいを旧居に置いておいたのが救いである。

数日たって、すべてがダメになったわけではないとわかり、一安心。しかし、2週間後くらいに影響が見え始めた。一部の株で、高温で組織がダメになったところが、黒くなり始めた。高温障害である。また、強い日射と高温で白くなったものもあった。これはいわゆる「焼け」である。その影響で全体が枯れてしまったものでてきた。

興味深いのは、多くの高温障害が株の基部付近のみに生じたことである。そのおかげで先端や地中が命拾いしたものも少なくなかった。先端をさせばつくし、根元があれば新芽が出る。

またさらに数週間後、ひどいやけどを負っても、新芽を伸ばすものが現れた。小さなやけどで枯れたものもあるが、逆に生命力の強い種は強い。もともとの生息地の過酷さが関係しているのだろう。

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結局、この事件で30鉢ほど失い、多数の株が高温障害や焼けを負った、いくつかは交換で入手した珍品で、かなりショックを受けたが、いい勉強になった。幸い、半分くらいの株は何の影響もなく、元気なままだった。

この頃は急に寒くなり、ダイニチの園芸用灯油ファンヒーターの「蘭」が活躍している。日差しが弱くなったので、外に付けていた遮光ネットを外した。多くのガガイモは元気に成長している。

多くの多肉愛好家は、冬季は水やりをやめて、半乾燥状態で、多少とも低温で越冬させている。しかし、越冬中の管理は難しいものがあり、ガガイモのいくつかは低温そのものに弱い。乾燥させすぎて干物になってしまうのも困る。そこで私は暖房をしっかりきかせて、成長させる方法を選んだ。

幸い、新居には強力な太陽光発電が付いていて、電気代はかからない。灯油だけ週に1500円くらい考えればよい。まだまだ課題はあるが、今のところ順調である。

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城計画4 水槽部屋

マンションには大きな水槽があった。しかし、鉄筋だからこそ可能であったわけで、木造では床が抜ける危険性がある。なにしろ120センチ水槽だけで、台を合わせて300kgくらいあるのだから。

そこで、改装の際に、床を補強してもらい、ついでに防水の床タイルを貼ってもらった。

そしてできたのがこの部屋である。壁には水槽の魚と同種あるいは同属の魚の博物館を飾っている。

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左端の水槽はアリアケギバチ。35センチほどに成長している。

城計画3 サンルーム建設

工事を急いだのには訳がある。ベランダのガガイモ(多肉植物)をいち早くサンルームに入れたかったのだ。

サンルームはLIXILYKKなどの市販品がたくさんあり、そこから選ぶのが安上がりである。また、床面積が10平米を超えると建造物となり、設置にあたって建築申請が必要となり、少し厄介だ。したがって10平米を超えないものを作るのが簡単である。幸い、特注しない限り、市販品は最大で9.9平米になっており、それを選んだ。幅は2間(3.6メートル)で、奥行きは9尺(2.7メートル)のものである。

また、基礎のコンクリート土間をおねがいした。高さ40センチほどで、雨が続いても湿気が入りにくいようにした。

かくして、庭を拡張して、基礎を設置後、サンルームが完成した。

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城計画2 やるべきこと、やりたいこと

新しい中古家屋はなかなか売りに出ないのだが、売りに出るには、いろんな家庭の事情がある。今回は転勤だった。売主の方も、まさか転勤するとは思わなかったのだろう。築はちょうど10年だったが、非常に大切に管理していたようで、ほとんどピカピカだった。その後、不動産屋さんに住宅診断をお願いしたのだが、作りもよく、全く瑕疵が見つからないほどだった。

さてさて、どんな家にしようか。とりあえずの希望は・・・

1.多肉植物用の広いサンルームを建てる。

2.庭で野菜を作る。

3.果樹と虫が来る木を植える。

4.池を作る。

5,室内に水槽部屋を作る。

ほとんど庭が主役である。すでに南の道路に面した90平米ほどの広い庭があったのだが、さらに3台ぶんの駐車場があり、その面積が無駄なのと、サンルームの配置に問題があるので、駐車場を1台分つぶして、庭を拡張することにした。庭は低いブロック塀で囲まれていたので、それを壊して、作り直すことになる。

サンルームは防湿管理のためにコンクリートの基礎が必要だし、空調のために屋外用の電源が必要だ。

水槽部屋は床を防水にして、床を補強しなければならない。

また、内部はきれいだが、壁紙を一部変えたい。

その他、庭の水道の場所を変えたりもしたい。

そんなこんなで、地元の住宅会社にリフォームを依頼することにした。

引き渡し(支払い)は10月末だったのだが、売主の方の許可をいただき、その1カ月前の9月末の本契約の後、すぐに工事を着工した。

城計画1 建築か建売か中古か

天神の町から歩いて帰れるマンションに住んでいた。狭いベランダで多肉植物を育てたり、部屋に大きな水槽を置いたり、畑をやりたいけど無理なので、郊外に農協の貸し農園を借りたりしてたら、住み続けることに窮屈さを感じてきた。もっと広い家で、温室を設置し、庭で農作業したい。庭に池を作ったり、虫の観察もしたい。

最初は借家を探していたが、なかなか出物がなく、勝手に温室を設置するのは難しいことがわかった。それでは家を買おうと思いたったのはこの春のことである。年齢的にローンが組める限界でもある。どうせなら自分の好きな間取りの一戸建てを建てたい。

それから土地探しが始まった。最初はどんな土地がいいのか見当さえつかなかったが、探しているうちに、金額の上限や、自分の求めている条件が見え始めた。すると、1カ月ほどで偶然良い土地が見つかった。それまでに何十ヶ所の物件に足を運んだだろうか。これだと思ったのは、駅に近い南に道路がある80坪の土地で、すぐに仮押さえをした。

次に、建築会社を決めて、間取りを決めて、設計と見積もりである。建築会社や不動産屋とやりとりし、いくつかの建築会社と繰り返し相談し、建築会社も2社に絞られた。人生最大の買い物であり、1カ月ほど熟考を重ねた。

ところが、いよいよ契約だというときに、私の仮押さえは反故にされ、より好条件で土地を買いたいという人に、数日早く売られてしまった。不動産屋の月末締めの焦りも災いした。これまでの苦労も水の泡。苦労して土地の値引き交渉や建築設計を進めてくれた建築会社の方になにより申し訳なかった。

福岡はとにかく土地がなく、これ以上の土地が見つかる気がしない。そこで、土地を買って家を建てるより、分譲か中古を買った方が確実だと思い始めた。

土地探しも継続しつつ、中古物件も探す。それからまた何十軒の見学をしただろうか。条件項目を削っていき、妥協点を見いだした結果、糸島市の駅からやや遠い場所で、しかし南向きの広い庭があり、まだ築の浅い中古物件が見つかった。

建物(上物)は築20年以上経つと無価値で、耐震性能の問題があるので、広い庭に加えて、新しい家が条件だったが、そんな家はなかなか売りに出ないのである。しかも、福岡の不動産はとにかく人気で、遅れると前回の二の舞である。糸島市はとくに人気だ。そのため、見に行って問題がないと判断し、その場で即決した。実際、私が仮押さえした直後に別の申し込みがあったという。危ないところだった。

かくして、移住に向けた作業が始まった。