断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

先日はローマ字の誤った表記について説明したが、同様にローマ字表記の長音記号を省略してしまう人が多いことを問題視したい。ただでさえ同音異義語が多い日本語にあって、長音の有無はローマ字化された言葉を区別するのに極めて重要であることには言を俟たない。

私の場合、つけるべきものにはすべて長音をつける。たとえば、「Tôkyô-to」、「Kyôto-fu」、「Ôsaka-fu」など、標本採集地の地名として表記する場合には決して省略しない。

もちろん、「Tokyo」、「Kyoto」、「Osaka」などの主要な地名はすでに英語として定着しており、長音記号のないほうが慣用的であり、それに従うべきだという意見にも耳を傾けるべきだと少しは思う。しかし、ある規則にのっとって地名を表記するとなれば、統一して長音をつけるほうが無難に違いない。たとえ一般社会では「Ôsaka」よりも「Osaka」のほうが慣用的だとしても、論文中で「Ôsaka」と書いたところで誤解を生むことはまずない。実際、駅名の表記には長音記号がついているが、着いた駅に「Tôkyô」と書いてあって、「Tokyoはどこだ?」だと混乱する外国人はいない。

また、これは某T先生に示唆を受けたことだが、「大阪」を「Osaka」と表記することについて、日本には「オサカ」読む「小坂」や「尾坂」という地名が複数あることを知っておかなくてはならない。「Osaka」すなわち「大阪」として使用している人は、「小坂」や「尾坂」をどう扱うのだろうか。

ちなみに、長音記号というのは、実際の発音の方法として、日本語に熟練していない外国人には理解不能だそうだ。しかし少なくとも、「小坂」と「大阪」を可能な限り区別する(最低限の混乱を生まないための)記号としての役割は大きいと思う。

そもそもデータとしての地名表記の重要性や、ローマ字の規則をろくに知らずに書く人(研究者であっても)が多いのが問題で、地名を扱う人には注意していただきたいと思う。