断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

朝から3年生2人に標本作成のアルバイトの作業をしてもらった。昼過ぎまでに約1000頭分のラベル付けが完了。2007年にタイに行ったときのもので、まだまだごく一部。
3年生と4年生で生協に行き、昼食。その際、「貞操観念」という言葉を知っているかと聞いたら、5人全員が知らなかった。難しい言葉とそうでない言葉の違いは日常で使うか(読むか)どうかに一線があり、その日常語は歳月とともに変わっていくのだろう。決して知らないことを嗤うわけではなく、そういうものなのかという新鮮味のある出来事であった。もちろん昔の人には当たり前でも私が知らない言葉はたくさんある。
夕方から鹿児島の山根さん、兵庫県立大の大橋さんとその学生さん、近畿中国四国農業研究センターの三浦さん、熱帯農学研究所の緒方さんと細石君と博多駅で飲んだ。山根さんとお話しするといつも自らの常識が覆される(たまに翻弄される)。「貞操観念」の話しをしたら、「そのうち、そんな言葉を使うほうが非常識になる」とおっしゃられた。ちなみに兵庫県立大の学生さんも、そもそも「観念」という言葉からして知らなかった。
「知恵の悲しみ」という言葉があるように、知らないことによる喜びや純粋な感情の吐露もあるに違いないので、日常使わない言葉をあえて知っている必要もないのかもしれない。下手に言葉を知っていると、新たに体験した現象や出来事を、知っている言葉に当てはめて簡潔に解釈してしまうきらいが人間にはある。などど好意的に考えたが、もし楽しく読書をしたいならば、知っている言葉はできるだけ多いほうがよいだろう。