断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

午後から大学へ。金尾君が一所懸命に作業していた。こちらは部屋の片づけなどなど。不在中にダンボール数箱分の郵便物が届いており、なかなかおいつかない。
金尾君のハネカクシを撮影する合間にツノゼミの撮影を1つ。ツノゼミは弱い酢酸エチルでごく短時間(10−20分)殺して、シリカゲルで急速に乾燥させれば、目の色や色彩がきれいに残る。(緑色のセミも同じようにしたら、きれいに緑が残る。)ただし、これを水で戻して再展足したら、絵具が流れるように色がとれてしまう。展足する場合には殺してすぐに展足し、粉末のシリカゲルで乾かすのが最良だろう。この方法のよいところは、色彩が残るだけでなく、DNAも確実に取れるところである。足をポキっと1本失敬すればよい。
タイのソンクラー大学構内で採集したツノゼミ。実に美しい。前胸には金色と銀色の毛が密生し、後方突起はまがりくねり、翅脈はまるで血管のよう。生時の色彩をかなり残しているが、生きているときには翅の白い部分がより桃色がかっている。体長は3.1ミリメートル。

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こんど「コドモtoサイエンスカフェ」で講演すると言った。これに関連して述べておきたいのだが、大学や博物館をとりまく事業にあまりにも外来語が氾濫していることに強く異和感を覚える。「サイエンスカフェ」の他にも「アウトリーチ」や「データベース」など、外来語をそのままカタカナにして使用している例は余りに多い。
博物館は一部の教養人や知識人を相手にしているわけではない。高齢者や子供はもちろん、教育を十分に受けていない人も対象に、科学や博物学に関する普及啓蒙を行う機関である。一切の外来語を排除するのは、今の時代にはふさわしくないのかもしれないが、誰にでもわかりやすい言葉を意識的に使う努力はするべきだと思う。少なくとも日本語に訳して不便のない用語や名称には日本語を使いたい。
近代の日本では、西洋の文化を取り入れる際、多くの外国語を和訳して日本語の血や肉として取り込んできた。いまはそのような努力が急速に衰退している。英語教育の普及とともに英単語に違和感が少なくなっているというのもあるかもしれないが、これは同時に日本語の退廃である。その点、大学や博物館のような教育機関で、考えなしに外来語を使ってしまうというのはいかがなものかとも感じる。