断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

城戸さんに佐々治先生の標本の整理と箱の入れ替えを進めていただいており、残ったアメリカ式標本箪笥の処分に困っていたのだが、久留米昆虫同好会の方が大牟田から引き取りに来てくださった。標本室が随分とすっきりした。
年内に仕上げる予定だった論文はすべて(ほぼ)終わった。ここ数年の生産性があまりに低かったので、反省し、気合いを入れてやってみた。体力的にはきつかったが、思いのほか楽しく、最後まで飽きることはなかった。学生時代は絵描きは結構苦痛だったのだけど。上手くスイスイ描けるようになったこともあるかもしれない。
これは今日終わった論文(2新属3新種)の図版。たくさん絵を描いて、小さく縮小するときの贅沢感。そして図版を上手く組めたときの満足感。すべて自己満足により構成されている。というのは冗談で、どんなに写真技術が発達しても、絶対にこういう絵は必要である。必要な情報を取捨選択するという合理的な側面のほか、描いて初めて気付いたり理解できたりする事実はあまり多い。付図に使用しない絵を記載のために簡単に描くことも大事。だから写真で済ませてしまう分類学者はあまり信用しないほうがいい。とくに新属をたてたり、形態形質を評価したり、系統を論じたりするときに、絵を描かないのはかなり眉唾だと思っていい。(ちなみにヒゲブトオサの論文では私は絵を描いていないが、最初にばらばらにして描写し、かなり形態を理解しているのと、大きくて観察しやすく、写真のみでの同定も可能なので、その後は写真で済ませている。)
このように今更絵描きの重要性を声高に述べるのもおかしな話だと思うかもしれないが、言いたい相手が居てのことである。