断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

師匠来る

私が学部時代に師事した直海俊一郎博士が、3月から私の職場の協力研究員として在籍することになり、福岡へ引っ越してきた。

早いもので今から25年前、1995年の学部3年生のとき、直海さんに昆虫分類学の教えを乞うべく、弟子入りした。師匠や弟子などと言うと古臭いが、昆虫分類学は多分に職人芸的なところがあって、私はたまにこういう言葉を使うのが好きである。

拙著『アリの巣をめぐる冒険』にも書いているが、最初に3ミリほどのハネカクシがびっしりと詰まった標本箱を5箱くらい渡され、「明日から君にはこれをやってもらうから」といわれた時には、できるのかどうか不安で眠れないほどだった。

それから直海さんに教えていただいたのは、解剖して、絵をかいて、図版を組んで、それから記載文を書くというイロハである。直海さんは数種が含まれているのみだと思ったそうだが、ふたをあけてみると20種近くが含まれており、そのほとんどが新種だった。

昆虫分類学修士論文では15種~20種程度を扱うのが一般的だが、学部時代にその量を扱うことになったのである。

もちろん、修士論文の平均など知る由もなく、当たり前にようにそれを終わらせた。「解剖して、絵をかいて、図版を組んで、それから記載文を書く」ということを必要以上に徹底的に学ぶことになったのである。

どの分野でも同じであるが、研究を長くやっていても、なかなか論文が出ない、出るのが遅い人というのがいる。たいていそういう人たちは、このような決まりきった手順が完全に身についていない。どうしても途中で余計なことに時間をかけて、手が止まってしまう。分類学では多くの場合、日程を決めて、てきぱきと手順をこなせば、もちろんいろいろな難題が出てくることがあるが、何らかの成果は出るものである。

その点で、私はこの当たり前のような手順をしっかり教えてもらったことに、いまでもとても感謝している。このような単純に思える手順も、それを身に着けるというのは、案外やらされてみて初めてできることがある。そしていま、私の学生にも、同じようにこの手順を教えている。今回、その師匠に研究の場を提供できたのは、少し恩返しできたようで嬉しい気持がする。