断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

他人の文章を批判したり、赤を入れるのは、自分で言うのもなんだが得意である。しかし、自分の文章をほとんど客観的に見られないのは、大きな欠点である。今日も改めてそのことを深刻に思った。自分の文章をよく読むと、他人に指摘したような点を自分も行っているのである。本来ならば、自分の文章を客観的に読むなら、1か月くらい放っておいたあとに再読するのが良い。だからといって締め切りの1か月前に書くのは、非常に困難なことである。

他人の文章といえば、時間をかけていない文章というのはよくわかることが多い。ミスの多さなどではなく、「軽い」雰囲気でわかる。それが文章の良し悪しに作用するかどうかはわからないが、それがわかる時点で多少の問題はあるだろう。遅筆で有名な作家の文章も読むと、時間をかけただけの重みと美しさを本当に感じる。時間をかけなければ書けない文章(取材や構成ではなく、文章の形そのもの)はある。

上手い文章と言えば、身近な人では永幡さんが格別に上手い。虫屋であると同時に文屋なので当たり前だが。いずれも感傷漂う文学調のものばかりで、なんといっても流れが良い。にもかかわらず本人は全く勉強をしたことがないという。これまた当たり前だが、文章と言うのは、やっぱり才能だと思う。

一方、今回の編集で歳をいく人ほど上手い傾向があることも感じた。若い人の文章と年配の文章は明らかに色が違う。果たしてわたしも上手くなるのだろうか。まったく進歩しないことはないだろうが、早くも限界を感じている。

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