断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

農大の蓑島君が北大の院試に合格したようだ。これで犠牲者がもう一人増えて・・・ではなく、甲虫分類の若手が増えて嬉しい。

研究の世界は論文を「書く人」と「書かない人」にかなりきれいに二分される。数年に1本しか出せないような分野は別だが、分類のように仕事量(=努力)に応じて論文を出せる世界では、とくに二分傾向が顕著のように感じる。

研究を始めるときには、誰もが「論文を書こう」と思っているに違いないのだが、なぜこうなるのだろうか。それは強い意志の有無以外のなにものでもないだろう。しかし、その意志が発揮できるかできないかは、研究を始めてみないと、他人はおろか、本人にもほとんどわからない。それは研究に対する相性があるからで、はじめてみないとその相性というものはわからない。いくら研究対象を愛していても、研究という仕事と相性が合うかは別である。いずれにしても、簑島君が「書く人」になることを祈る。

今日も学会発表の続き。だんだん終わりが見えてきた。

大島さんに教わって、この冬からシカゴ大のきちんとした英会話に通おうと考えている。こんどの学会で「英語にはなれましたか」と必ず聞かれるだろうが、全くダメといって差し支えないだろう。今日もケーブルテレビの会社に電話して冷や汗をかいた。もうこういう緊張とはオサラバしたい。しかしアメリカ人の早口というのは本当に聞き取りがたいもので、ちょっとやそっとで完全にオサラバできる自信は全くない。