断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

変わらず不眠気味。行きがけにホームセンターで自転車を拾う。なかなか調子の良い熱帯魚の揃った店で、思わず時間を忘れる。ちかごろ部屋の水槽が安定してきて、ほとんどコケが生えなくなった。もう少し魚を足したいところだが、今月の25日に停電があるのでそれまでは我慢する。
午前中にヒマワリを眺めていたら、昆虫学教室OBの上野さんが通りがかった。「どうしたのこれ?」というので「趣味で植えたんです」といったら、「えー、ここに植えるか〜!」と感心された。甲虫の本の話しや亀澤さんの噂話などをしてお別れする。
昼過ぎに展示を見に来た矢原研の学生さんに会って楽しく話す。それからOsakatheta yasukoaeの河上さんに電話をいただき、ウミハネカクシの標本を約束してくださった。夕方には農学部の山本周平君が来た。学部1年で授業に忙しいようだが、絵描きや記載の練習を始めたいとのこと。見上げたものだよ屋根屋のふんどし。頭先行ではわからない。まずはやるのが大事。
夜の姪浜駅前で古典的な不良集団を見かける。金髪のリーゼントという絶滅危惧IA類も観察できた。ボンタンや短ランといった準絶滅危惧種もまだ普通にみられる。コガタノゲンゴロウもいるし、福岡の自然は豊かだ。
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私は無駄なカタカナ外来語の排斥主義者であると言って憚らない。安易な使用は思考停止である。つまりは使う理由のない場合に使う必要はない。日本語で言えるものは日本語で言いたい。カタカナ外来語の多い分野に「昆虫採集」がある。同じ昆虫学の分野でも、形態用語の多くは先人の苦労によって日本語に訳されている。しかし、昆虫採集用語の普及はおそらく戦後以降のことで、日本語使用に対する配慮がなされなかったのであろう、ほとんど英語のまま使用されている。たとえば、目視で虫を見つけて採ることをわざわざ「ルッキング」などという。「ルッキング」などという漠然とした動詞の名詞形よりも、「見つけ採り」などと言ったほうがよほどわかりやすい。万事が万事そんな感じで私は勝手に憤慨しているのだが、以下のように提案したい(古くから提案されているものもある)。

  • ルッキング=見付け採り
  • スウィーピング=掬い採り
  • ビーティング=叩き採り
  • ベイトトラップ=餌わな
  • ピットフォールトラップ=落としわな
  • フライトインターセプショントラップ=飛行遮断わな、ぶつかりわな
  • ツルグレン法=土壌抽出(ツルグレン氏式)