断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

今日からKorup国立公園に入る。
10時半に朝食。乾いた食パン、マーガリン、コーヒー、傷んだ粉ミルク。国立公園の管理官が直々に訪れ、ポーター(6人)、コック、ガイド、研究調査料など、あわせて330000FCAを支払う(66000円ほど)。それからしばらくホテルのまわりを歩き回る。近くに川があり、カワスズメやきれいなコイ科の魚がいた。花が咲いているのは水生のハマオモト属Crinum



13時に公園事務所へ行き、荷物を積み込み、ポーターとともに公園へ出発した。途中、食料のニワトリを買う。車はギュウギュウ。ポーターの若者たちは仕事にありつけた喜びで元気が良い。



14時に公園入口の吊橋に到着した。入り口に軍の検問があり、パスポートを見せる。ほとんど形だけのもので、「Shingo, Shigehisa, Hokkaido, Munetoshi」と意味のないことをメモしていた。6人のポーターに荷物を渡すも、私はFITやカメラの入った18kgのバッグを自分で運ぶハメになった。




入口からキャンプ地まで8.2キロの道が続く。ポーターは走るように先に行ってしまった。ガイドはアドルフさんというおじさんで、道すがら動植物についていろいろと説明をしてくれる。途中に美しい川があって、カワスズメや美しいメダカの仲間に感激する。それにしてもカバンが重く、もう一人ポーターを雇えばよかったと後悔する。堀さんと細石君が手ぶらなので余計に重く感じる。
途中、今回の主目的であるサスライアリDorylusの行軍を3箇所で見かけた。

16時半にキャンプ地となるScience Campに到着する。昨年まではロッヂがあったが、地元住民とゲームガードの抗争で、地元住民が燃やしてしまったとのことだった。
なんとポーターの2人が行く先を勘違いしたようで、まだ到着していないことがわかった。幸い、テントや最低限の食料はある。まずはテントを立てて、採集の準備を進める。
20時になってもポーターが来ない。仕方なく、パンにケチャップをつけて食べることにした。
21時半にようやくポーターが到着。なんと全く別のキャンプに行っていたとのことで、彼らは重い荷物を背負って、今日だけで30キロ近く歩いたことになる。さすがに疲れた顔をしていた。
こちらもお腹が空いているので、夕食を作ってもらう。まずはスパゲッティを茹でる。少量の水で米を炊くように茹でる。それから、たっぷりの油を熱して、そこにトマトソースを加え、オイルサーディンを入れ、水を入れてソースとする。その頃にはスパゲッティはソフト麺そのものに変わっていた。ソフト麺のトマトソースである。これがとてもおいしい。スパゲッティの新しい食べ方を知った。
キャンプ地の近くにはきれいな川があり、そこで飲料水を汲み、少し下流部で水浴びをすることになった。上記のハマオモト属のほか、サトイモ科のAnubiasがたくさん生えている。非常に魚が豊富で、水浴びをするそばにPelvicachromis属のカワスズメや数種の美しいメダカやナマズが泳いでいた。写真が水浴び場で、洗剤を使うことに罪悪感を感じつつ、衛生のために使わざるを得なかった。


7時半起床。まだ薄暗い。やや涼しい。何百頭というハリナシバチがテントのまわりに集まっている。どうやらポーターの運んだ荷物についている汗に集まっているようだ。パンにチョコレートソースを塗って朝食。コーヒーは粉にお湯を注ぐだけのトルコ式。
アドルフさんに手伝ってもらい、FITとマレーズを設置する。昨日道に迷ったポーターの2人は朝食後に帰っていった。残るはわれわれ日本人3人とアドルフ、それにコックだけである。
設置後、テントに戻るとテントの様子が少し変わっている。テントのチャックの位置、荷物の配置が明らかに朝とは違っている。そして中に入ると、黒人独特の体臭が残っていた。われわれのいない間にコックがテントに入って荷物をあさったようだ。その後、細石君も同じようにテントをあさられていたとのことだった。
昼は昨日と同じソースを米にかけたもの。とてもおいしい。