断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

午前中は教員会議。
今日は2鉢に3個ずつ、水栽培を2個、合計8個のヒヤシンスの球根を植えた。水栽培用の大きな球根だと花が重くて徒長に弱いので(部屋が薄暗いので徒長する)、露地用の小さい球根を買った。これからの成長が楽しみだ。
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「子供」という表記を使わずに、「子ども」と表記することが少なくない。「供」というのは、単純に複数形を示す接尾辞である。もともとは当て字だそうだが、歴史的に長く使われてきた。ところが、困った人のなかには「供」という漢字に「お供え」や従者を連想し、さらには子供の人権云々といった妄想を走らせ、「子ども」などという表記を主張する人がいる。情けないことに大学のような教育機関でも、わざわざそのような困った人に程度を合わせて、「子ども」という表記が散見される。そもそも、たとえ「供」に従者の意味があっても、ひらがなにすることに何の意味があるのだろうか。「盲」を「めくら」としても何も変わらないのと同じである。