断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

【展示のご案内】

【展示のご案内】

今年は5つの展示に大きく関わりました。

「大昆虫展 in 東京スカイツリー」(監修・出展)東京
http://daikontyu-ten.jp/

「虫展 デザインのお手本」(学術監修・出展)東京
http://www.2121designsight.jp/program/insects/

「特別展 昆虫」(監修・出展)大阪
http://www.konchuten.jp/

「丸山宗利のふしぎな昆虫ツノゼミ」(監修・出展)福岡
http://www.city.itoshima.lg.jp/…/050/110/20190629150917.html

「森本桂コレクションとゾウムシ学」(監修・主催)福岡
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/event/index.html

「とんでもない甲虫」のできるまで

7月11日に幻冬舎から『とんでもない甲虫』が出版される。2011年の『ツノゼミ ありえない虫』、2015年の『きらめく甲虫』の続刊にあたる。じつは2015年に『きらめく甲虫』を出版する前、「ツノゼミに続く珍奇昆虫として、珍奇な甲虫の本を作りたい」と思って提案したことがあった。同時に「美麗甲虫の本も作ってみたい」という考えがあって、結局は確実に売れるであろう後者を作ろうという話しになったのだった。(おかげさまでかなり売れました。)

珍奇甲虫の本を作りたいという腹案はその後もずっとくすぶっていて、折を見て標本を集めていたが、「これは大変だ。かなり遠い先になりそうだ」と思っていた。そんなとき、2018年の「昆虫大学」というイベントで、今回の共著者である福井敬貴君が標本を出展していた。以前から福井君がいろいろな珍奇種を持っているのは知っていたが、さらに充実しているではないか。そして、「この標本を使うことができたら、早々に本として成立するのではないか」という気がして、福井君に打診し、急遽、幻冬舎の担当編集者の前田さんと相談。トントン拍子に企画が進むこととなった。

本は先にタイトルを決め、制作の際の理想像を作るのが大切である。喧々諤々の議論の末、前田さんの案で『とんでもない甲虫』にしようということになった。「これまでにない昆虫本のタイトルだ!すばらしい!」と、ますます楽しみになる。

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福井君のコレクション(福井君のツイッターより

福井君は標本作製が非常にうまく、いろいろな人に作成を依頼される。私も『きらめく甲虫』作成の際に、かなりの標本を彼にお願いした。福井君はその過程でいろいろな標本に出会い、一部(依頼者のダブリなど)を自分の手に入れることができるのだ。本当に珍しいものもたくさん持っている。

企画が進むと、こんどは台割(決まったページ数での構成)を決めることになる。私が最初にリストを作り、福井君に意見を求めた。お互いにどうしても入れたいものがあり、ここで少し意見が割れた。たとえばヒシムネハナムグリは、確かに模様は変わっていても、私は形は普通のカナブンなので不要だと思った。いっぽう、福井君は模様が珍奇なので入れるべきだという。私は心根が素直なので、「なるほど」と折れた。そのほか、「これはあの人に借りられそうだ」などと目星をつけつつ、台割が決定した。

f:id:dantyutei:20190116140834j:plainヒシムネハナムグリ

それからさらに標本を収集し、福井君に送ってきれいな標本に作り直してもらうことを繰り返した。また、いくつかの希少な標本は研究機関や友人たちにお借りすることもできた。

1月中旬に福井君が福岡に来て、福井君が標本作製を進めつつ、福井君のコレクションを含め、一気に撮影を進めることになった。

福井君の横で撮影を進めるが、ここで大変なことがわかった。実は標本というものは、100%ホコリにまみれている。ホコリがついていない標本など存在しない。撮影前に標本を掃除するのだが、それが非常に大変なのである。

『きらめく甲虫』に登場した甲虫は、ほとんどが大型で、ちょっとくらいのホコリは目立たない。しかし、今回の本に出てくる虫はほとんどが2センチ以下で、1センチ前後のものも多い。そういう虫だと、たった1ミリのゴミがついていても、とても目立つのである。想像して欲しい。150センチの人の体に15センチのゴミがついていたら、遠目にもわかるだろう。

f:id:dantyutei:20190116140710j:plain福井君

結局、福井君の5日間の滞在中、2人で標本作成と清掃をしつつも、撮影すべき標本の1/3くらいしか終えることができなかった。それからは学生に少し手伝ってもらったりもしたが、私独りで作業を続けることになった。福井君の手元にも依頼中の標本があって、送ってもらう前に掃除もできるだけしてくれるようにお願いした。しかし、どうしても輸送中に静電気でゴミがついたり、撮影した後に意外な場所に糸くずや固まった体液が付いていることが判明したり、撮り直すことは再三で、作業は遅々として進まなかった。

そして撮影しつつも、「これが足りない」と思うと、外国の収集家にお願いして譲ってもらい、それをさらに福井君がきれいに直すという作業も繰り返した。

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チェコから届いた標本

もちろん、撮影は深度合成法によるもので、虫によっていろいろな角度で撮影し、もっとも立体感がでて、各種の魅力を引き立てるように努力した。ホコリだけでなく、出来栄えが不満で撮り直すことも多かった。本当に好きな虫を扱った本だけに、一切の妥協はできないのだ。

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深度合成に用いた写真の一部:1つの標本を層状に撮影し、ピントの合っている部分だけを合成

2月下旬、ようやく2/3ほどの撮影が終了し、幻冬舎で前田さんとデザイナーの鷹觜さん(過去2作も担当していただいた)と相談し、デザインの方向性を決めた。

f:id:dantyutei:20190225123949j:plain打ち合わせ

残りは1/3だが、面倒なものが残っている。慎重に掃除をしつつ、撮影を進め、同時に原稿も書き進める。原稿は基本的に私が担当し、福井君の思い入れのあるものは福井君にお願いした。そして、写真と原稿を編集側の前田さんと鷹觜さんに送ることを繰り返した。また、今回扱った種は、図鑑などには出ていないものばかりで、名前を調べるのに苦労した。そのあたりは福井君と手分けし、一部は外国の専門家に写真を送り、名前調べ(同定という)を依頼することができた。

同時にデザイン案が次々にやってくる。鷹觜さんのデザインはすっきりしていて、虫のかっこよさを引き立てる素晴らしいものである。

デザインの際にお願いしたのが大きさの比率である。同じページに1種だけ拡大がある場合はあるが、基本的に同一縮尺(同一の拡大率)で並べてもらうようにお願いした。大きな虫と小さな虫が同じ縮尺で掲載されている本もあるが、私はそれがどうしてもイヤなのである。実はこれは『きらめく甲虫』のときからのこだわりである。

そうなると、大きな虫と小さな虫は同じページに配置することはできない。つまり、大きな虫と小さな虫を複数レイアウトしようとすると、大きな虫が必要以上に巨大になるか、小さな虫が見えないほど小さくなってしまう。実は、最初からこのレイアウトを前提に、それほど体格に差のない種を選んで標本を準備したのだった。そのために撮影対象とならなかった珍奇種も数多くあった。

また、写真はミクロメーターと一緒に撮影し、鷹觜さんがレイアウトに困らないようにスケールを入れた。今回も各写真に手書きのコメントが入ることになり、それはアマナの佐藤暁さんにお願いした。

 

←予約をお願いします!!

そうやってできあがったのが『とんでもない甲虫』である。結局、279種もの珍奇種を掲載することとなり、カメラの記録では3万枚以上の撮影を行った。甲虫はとにかく多様で、もちろんすべてのとんでもない甲虫を載せることはできないが、びっくりするようなものが満載である。どうかご予約・ご購入をおねがいいたします。

 

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こんなすごい見開きが30以上あるのです。これは買うしかない。

 

畑の近況

福岡もようやく梅雨入りし、庭の野菜の育ちがよくなってきた。

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キュウリ。いまいち結実率が高くない。


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ブルーベリー。小鳥との争奪戦。

 

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サニーレタス。根切り虫と言われるカブラヤガやタマナヤガの幼虫から守るため、輪切りにしたペットボトルで囲っている。カラスヨトウに葉を食べられる程度で、好調。


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オクラ。実の成長が早く、タイミングを逃すと硬くて食べられない。庭にあると良い時機に収穫できていい。

 

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フタトガリコヤガ。フタトガリアオイガとも。オクラの害虫で、かならずつく。不思議なことに小鳥もアシナガバチも食べない。


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ズッキーニ。成長が旺盛で面白い。


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手前から、ラッカセイサトイモ、エダマメ、ズッキーニの苗、レタスなどなど

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ダイコン。夏大根は皮が硬いが、董が立ちにくく、案外重宝する。


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トウモロコシ。強風で倒れても、自力で元に戻るのが面白い。


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ピーマン。2本も植えると食べきれないほど採れる。


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トマト。シンディーという中玉トマトは旺盛でいい。しかし味はアイコ系がおいしい。


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ナス。水が必要。

カブトムシの壁

たいていの身近な生物には世界共通の名前である学名がある。しかし、学名はラテン文字で書かれており、勉強しないと読んだり覚えたりしにくいことから、日本では一般的に和名が使われる。トノサマガエル、シジュウカライリオモテヤマネコはいずれも和名である。

日本ほど多くの生き物に和名、つまり現地名が付けられている国はないだろう。ラテン文字以外の文字が主に使われる国のなかでも、生き物に関心のある人が多い国民性と自然史研究の歴史が比較的長いことが関係しているものと思われる。

しかし和名に規則はなく、とくに昆虫では学会が標準和名を定めたりすることはない。和名はあくまで提唱するものであって、決定するものではないのだ。よって、1つの種に複数の和名が提唱されていることあり、目録や一般書に掲載されたりして、広まったものがさらに広まる傾向にある。私も本を書くなかで、ときに和名の使用に関して迷うことがある。そして私が和名に関して重視しているのは、普及度と歴史である。さらにいえば簡潔性である。

身近な昆虫に関する和名の問題といえば、玉虫の逗子でおなじみのタマムシである。人や図鑑によってはヤマトタマムシと呼ぶ。しかし私はヤマトタマムシなんて糞食らえという主義で、同様にナミアゲハナミテントウ、キムネクマバチなどは決して使わない。それぞれアゲハチョウ、テントウムシ、クマバチという本来の和名でよい。

たしかに研究者的な観点では、タマムシというと、タマムシ科の昆虫全般の総称と混同しやすいという意見もあるかもしれない。しかし、普通の人からしたら、タマムシといえばあのタマムシであり、「大和玉虫を箪笥に入れると」などとわざわざ言わない。正式な和名(和名にそんなものは存在しないが)はヤマトタマムシで、一般の人は勝手にタマムシと呼べばいいという向きもあるが、それでは和名の意味がないと私は思う。子供向け図鑑や一般書などがこれだけ普及している日本では、和名と一般名は同一であるのが理想である。

一つの属や亜科に複数種いる場合、その代表名のみの和名(先ほどのタマムシみたいな)は許さず、「各種の和名の頭には必ず何かつけたい」みたいな人は昆虫の世界には少なくなくない。挙句には「すべての和名は階層的かつ体系的に」という人もいる。先に述べた通り、私にとって和名には馴れ親しみこそ大切で、長く使われてきたものの安定性を大切にしたい。そして長くて覚えにくいのも意味がない。歴史や親しみをなげうってまでも和名に規則性を求めるのはあまりに独善的すぎると思う。

興味深いのは、彼らのような人たちも、カブトムシに対してヤマトカブトムシ、ノコギリクワガタに対してホンドノコギリクワガタなどと提唱しないことである。たいてい主義が一貫しておらず、日和見的である。私はこの現象を「カブトムシの壁」と呼んでいる。

昆虫以外でも、ホンドギツネアカギツネの亜種和名として)、ニホンアナグマニホンアマガエルのような和名は本当に馬鹿げていて、少なくとも日本本土の個体群に対してはキツネ、アナグマ、アマガエルをそのまま使えと思う。最近はメダカがキタノメダカとミナミメダカに分けられ、種の和名としてのメダカが消えてしまうという事件もあった。こういった和名の改悪(あくまで私の視点)はさまざまな生物群に見られ、それぞれの世界で何かしらの理由があるのだろうが、私はあまり共感できない。

研究が進めばそうなると思いきや、もっとも研究が進んでいる鳥類では多くの和名が余計な修飾なしで使われることが多い。海外の個体群と別亜種だったり、逆に日本に複数の亜種がいたり近縁の別種がいたりしても、古い呼称を尊重し、もともとの和名をできるだけ残しているのがわかる。いつかその歴史的な流れを追ってみたいが、おそらく普及に貢献してきた人たちの考えが現れているのだろう。

そもそもが結論のない議論ではあるし、ここにいくら書いても舌足らずな部分もある。これも、多くの人にはどうでもいいけど、私には大切な問題である。

<草稿>

美しいもの

何年か前、ある大学病院の小児科の病棟で移動博物館をさせてもらったことがある。今でも時折思い出すが、これまでの人生で指折りの貴重な経験であった。

他人に対して可愛そうだと決めつけるべきではないし、本人も家族もそう思われることを望んでいないかもしれないが、私は幼くして命の危険にさらされていたり、生まれた時から病気で一歩も外に出られない人は本当にかわいそうだと思う。

その移動博物館では、ロビーのようなところで展示ケースを置いて展示をしたりもしたが、ベッドから立ち上がることのできない子や無菌室から出られない子たちのところを訪れ、昆虫の標本を見てもらうこともできた。標本箱はアクリル製で特注し、それぞれのベッドを訪れる前にしっかりと消毒できるようにした。

私はあの日に訪れた幾度かの瞬間を一生忘れない。それは、おそらくはじめて標本を見たであろう子たちの目の輝きである。あの喜びと好奇心にあふれた眼差し。目が輝くという言葉を聞くことがあるが、私はあれ以上の輝きを見たことがない。また同時に、その子たちの置かれている状況に胸がつまる思いがした。

そのとき私は確信した。昆虫やあらゆる自然物は本来、人間にとって美しいものであると。「気持ち悪い」というような負の感情は、すべて経験や刷り込みによる先入観によるものである。理屈で考えれば当たり前だが、このような経験を通じて確信できたことは自分にとって何より意味のあることだった。また、罪なき物事に対して、簡単に負の感情を表明することが、いかに馬鹿馬鹿しく愚かであることかと思った。

昆虫の美しさと面白さを多くの人に知ってほしいと常々思いつつ、本を書いたり講演したりしているが、この時の経験は大きな糧となっている。人間の本質としては、自然物に対してあのような目の輝きを持っている。はじめから先入観を持たせないようにしたり、払拭したりできたら、なんて素晴らしいことか。

またいつか、移動博物館ができたらと考えている。

どうでもよくないこと

生物の学名は私たち分類学者には特別なものである。そして、その発音について、生き物に関わる人たちの間では、「こだわり派」と「自由に読めばいい派」や「どうでもいい派」に分けられる傾向にある。私はもちろん「こだわり派」であり、自由派やどうでも派とは相入れない。かといってそれらの人たちに意見をしようとは思わない。関心のない人への意見や議論は無駄だからである。たとえば植物の流通名が学名のカタカナ読みである場合、多くは不規則でめちゃくちゃだが、それについて文句を言おうとも思わない。

学問とは自分で学んで、自分だけで知識を反芻して楽しむのが本来のかたちである。逆に、自由派やどうでも派が、「テキトーにすべきだ」「こだわるのはおかしい」などと他人に解くのも間違っている。これまでの経験上、それらの人たちはほとんどの場合、単純に学名や語学に関して無知であり、そのような立場で何かを意見することはできないからである。「知らないくせに意見したがる人」「知らないから否定する人」、逆に「知ってるから言いたい人」というのはどこにでもいて、必ず無駄な対立を生む。どんな世界でも、あるものにこだわりがある人とそうでない人は、互いの立場を尊重しつつ、片方は自らの無知無関心を認め、そのことについては一切の関わりを持たないのが平和な姿である。

さて、そもそも学名の発音とは何か。基本は古典ラテン語の発音だろう。英語園、特にアメリカでは、英語式の規則的な発音方法がある。それ以外の国で、ローマ字を母語に用いている人々は、その言語の発音に近い発音をしていることもある。しかし、東欧の研究者などはかなりラテン語を意識して発音しているし、もともと中立的な言語として学名にラテン語が使われるのだから、われわれ日本語を母語とする者もラテン語を意識するのが自然のように思える。もちろん、ラテン語の発音の教科書はあれど、それを学ぶのは容易ではない。カタカナ表記にも限界はある。ラテン語化された固有名詞はどうしようか。でも、そういうことを含めて面白いのである。

ここまで読んで、やはりどうでも良いと思った人もいるかもしれない。たしかにこんなことが学問的に高い価値を持つとも思えない。しかし、どうでもいいことに対して、どうでもいいと思いつつも、ついつい熱心に調べてしまうのが、趣味や学問の楽しみというものである。つまらないこだわりこそ真骨頂なのである。もちろん、われわれのように分類学を学ぶものは、ラテン語を語学として最低限学ぶ必要がある。語学の習得に発音を無視することは決してありえない。だから学問として学名を学ぶならば、発音へのこだわりは自然の成り行きなのである。

 

ガガイモ メモ

ガガイモのコレクションは300種近くに達し、かなりの種と属が集まってきた。ガガイモだけ集めてるバカは少ないので、たぶん日本一だろう。

毎日何らかの花が咲いて楽しいが、たまに難物をダメにして悲しい思いをしている。

温室は生育が素晴らしいのだが、難しいのは温度の管理。晴れた日に閉め切ると、冬でも30度を超えてしまう。12月から2月は晴れても知れた量の日射なのでまだいいが、10-11月、そして3-5月は開けたら寒い時があるし、閉め切るととんでもないことになるので、難しい。

ガガイモには遮光が重要で、生育にも大きく関係する。寒い時期は温室の外側の遮光ネットを外し、内側からガラスに断熱のプチプチを貼り、内側に弱く遮光ネットを張った。

しかし3月になって、晴れると、とんでもなく気温が上がるし、日射も強くなり、あっという間に多くのガガイモが日に焼けてしまった。

4月始めにプチプチを外し、外側から遮光ネットを張ったが、3月中旬には、少なくとも外側の遮光ネットを張るべきだった。

ガガイモはわずかに焼ける程度が美しく、健康になる。しかし、種によって最適な日射の加減が様々で、それでも同じ場所に置かなければならないので、とても難しい。

いまは特に強い日射を必要とするものだけ、仕切りをつけて西からの強い日差しが当たるようにしている(写真の右奥)。その他は同じ条件で、試行錯誤の毎日である。

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