断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

思い出したのだが、一昨年だったか昆虫学会のシンポジウムで「昆虫学の未来を担う少年たち」というのがあって、そこで講演させていただいた。その折、「なんで『少年少女』じゃなくて『少年』なんですが?それは差別じゃないんですか?」と観客の一人に叱られてしまった。わたしがシンポジウムの題を決めたわけではないのだが、そのときには「ああ、そうかもしれませんね、すみません」などとお茶を濁したが、あとから思えば、別に「少年」ということばは男性に限定されたものではなく、「すみません」などとたやすく言ったことを少し後悔した。片方の性で両性を代表して表現することばはいくらでもあるもので、これも立派な日本語ではないか。

差別といえば、メクラチビゴミムシはいつもその槍玉にあげられる。この虫を専門とする上野先生は「実際の差別と言葉は無関係。標準和名は学名に対応しており、変えると混乱を招く」とおっしゃっており、まさにそのとおりだと私は思う。しかし、いまは先生が頑張っておられるが、きっと近い将来にはなくなってしまうのだろうなぁ。ちなみに、メクラカメムシはカスミカメムシに変わってしまったが、この仲間には複眼がしっかりあり、実際には盲目ではないので、変更は良い機会だったのかもしれない。ドイツ語名の直訳で、単眼がないことにちなむ。

差別用語といわれることばを和名に冠した生物は魚類に多く、それらの和名は一挙に変更されたらしい。ずっと慣れ親しんできたイザリウオカエルアンコウになるそうだ。それにしても、今の時代にイザリ(躄)と聞いて足の不自由な人を卑下するような発想を持つ人がいるだろうか。そもそもこの件を発端にして、むしろ初めてイザリの意味を知った人が大半にちがいない。

いつしか系統学用語の姉妹群も兄弟姉妹群になるのか。

追記:シリア語・アッシリア語、チェコ語スロバキア語などのごく近い言語に「姉妹言語」という言葉が使われるようだ。共通の言葉から「生み出された」というところに姉妹という女性詞を使う意味がある。系統学の用語にも、同様の背景があるのだろうか。