断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

noriさんの日記で常体(である調)と敬体(ですます調)の話しになっていた。うん、たしかに教科書は敬体のほうが「無難」かもしれない。この日記もどちらで書こうか少しだけ迷ったことがあるが、ご覧のとおりの常体である。思うに、常体と敬体の大きな違いは、書き手と読み手との距離にある。常体は基本的に独り言でもよい。だから日記には向いている。それに対して敬体には読者の心に近づこうという意思が込められている。あるいは込められているように感じさせる効果がある。だから個人の日記を敬体で書くのはお手紙をしたためるみたいで、よほどうまく書かない限りちょっと気持ちが悪い。そして逆に教科書のような何かを伝える文書に敬体は向いている。もちろん、教科書だって魅力的な内容であれば、常体敬体を問わず読者のほうから心が近づいていくはずで、本当はあまり重要なことではないのかもしれない。