断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

午前中は六本松へ行き、言語科学の先生が個人的にお持ちだったホンドテンの剥製と、旧教養の生物学教室で使っていた古い生物標本類をとりにいく。大学博物館の仕事は大学内に散在する資料を一元的に管理することであり、また手放された資料を引き取ることも重要な任務である。
午後は自分の論文を仕上げたのち、山本君の論文を修正、英文校閲へ出す。山本君、英語がすごくよくできるので、くだらない文法のミスがほとんどない。適切に他の論文のマネもしているので、かなり形が整っている。これは学部1年生としては驚くべきことで、きっと卒論ではすごいものを書くだろう。
しかし解剖と絵描きはまだまだX2修行が必要だ。
むかし、「できるかな」というNHK教育の工作の番組が好きだった。そこでため息をついてみていたのは、ノッポさんの手際のよさと手さばきの見事さだった。工作は得意なほうだったが、完璧だと思って作った作品も、切り口がきれいでなかったり、糊をつけすぎではみだしていたり、かならず何かしらの欠点があった。それを子供心に歯がゆく思っていた。
子供と言うのは注意力が散漫で、細かいところに手が行き届かないものであり、それが作品の不完全さの要因であることはわかっていたが、それでもうまくいかなかった。しかし年齢とともに脳の働きが成熟するにつれ、だんだんと手際がよくなるのが自分でもわかった。その手際とは注意力のことであるが、それをもう少し具体的にいうと、手動かすのと時機を合わせて対象に適切な注意を行き届かせることである。手先の器用さはとはまさにその発達の程度に違いない。
微小昆虫の解剖と言うのは、力加減、適切な針使い、昆虫の体の構造の理解、関節の硬さ、体の硬さなど、さまざまなことを総合的に考えながら、手を動かす必要があり、究極的に難しい工作のようなものである。おそらく山本君の技術の問題は、年齢にも強く関係しているのではないかと思う。しかし研究を中断するわけにはいかず、こちらは叱りつつ見守るほかない。手先の技術の向上には、いかに注意するかという気持ちを持つことが肝要である。