断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

学名の命名権とイベント企画

今年の夏、国立科学博物館で、初の昆虫展が行われる。意外かもしれないが、初である。展示の題は、そのまま『昆虫』。どういう経緯で決まったのかは聞いていないし、なんのヒネリもないように思えるかもしれないが、「昆虫のすべてをみせてやろう」「うちがほんとの元祖だ」「うちが本気だすとこわいぜ」みたいな、気概が感じられる。ような気がする。

それで、私もこの展示の監修者に加わることとなった。主催の読売新聞とフジテレビに昆虫展の経験がなく、相談を受けたのがきっかけで、もともとお手伝いする予定だったこともあったし、結局いろいろなコーナーを担当することになったので、成り行きで監修者にご指名いただいた。この仕事に時間を割くための職場での立場もある。つまり正式に監修者となっていれば堂々と動きやすいということである。これまでの約10年、手探りで独自の昆虫展示を続けてきたが、その経験が人様の役に立つとは思わなかった。

それはさておき、今回の目玉企画に、来場者から抽選で、新種のハチの学名(種小名)に自分あるいは自分の好きな人の名前をつけるというものがある。つまり鈴木花子さんだったら、Xxxxus(属名)suzukiaeあるいはhanakoaeとなるわけである。現在、昆虫学教室の三田敏治さんが研究中で、良いタイミングで論文を出すことになっている。

実は今年の3月のマダガスカル調査は、この企画の関連で行った。企画のための新種の虫を探そうというものである。本当は私の専門のハネカクシあたりで新種を見つけようと思ったのだが、それはふるわず、同行の三田さんの専門のセイボウで顕著な新種が見つかり、結局それをこの企画に使わせていただくこととなった。

この企画の趣旨は、主催者側としては、展示を盛り上げようというイベントの一環である。それは言うまでもないだろう。いっぽう、こちら(研究者)としては、これをきっかけに多くの人が展示を訪れ、昆虫に興味を持ってもらえればということと、さらに滅多に正確な報道がなされない学名の命名について知っていただく、ひいては分類学というものについて学んでいただければという思いがあり、双方の同意のもとに進められることとなった。生きものが好きな人にとってみれば、学名に自分の名前が残るなんて、一生の思い出に残る夢のある企画だと思う。

実はこういった学名の「命名権」のやりとりについては、一見斬新に思えるかもしれないが、欧米では珍しくなくなっている。それが有償であれば、その資金をもとに、研究を行ったり、生息域の保全を進めたりしていることも多い。しかし、おそらくだが、日本ではこれまでにそのような事例はなかった。

初めてのことは必ず批判を受ける。予想はしていたが、この企画にも反対の声があるようだ。当初はわれわれもそのような批判を恐れて、この企画への参加に逡巡したが、幸い、私の周囲の研究者は好意的な意見ばかりで、欧米での実例を知った上で、分類学の生き残る選択肢として必要という声も少なくなかった。実際のところ、反対の声の多くは「命名を景品みたいに使うべきではない」といった感情的なもので、そこに合理的な理由はまったく見当たらない。(われわれがこの企画を進めるにあたって、本当になにか問題があるのであれば、ぜひご教示賜りたい。)

動物命名規約(分類群名に関する法律+紳士協定みたいなもの)というがあって、それに反するのではないかとの指摘もあった。今回の件の是非の問題からは逸れるが、分類学的貢献のない人に命名してはならないという内容は命名規約にはない。また、家族や恋人の名前を学名に使って無名雑誌に発表している研究者も非常に多い。それが悪いとは言わないが、そんなことよりも、こういう機会を利用して、多くの人に昆虫のことや分類学のことを知ってもらった方が、ずっとずっと有意義かつ「公的」ではないかとも思う。

見事な未記載種を見つけ、研究してくださっている三田さんには感謝したい。分類学では、ある種を未記載(まだ名前が付いていない)と判定するのが研究の一番の難所で、一番の価値あるところである。

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その後、意見があり、学名にはその種の特徴や発見地名、発見者名を付けるべきというものがあった。たしかにそれが理想的であり、多くの研究者が原則そうしていることが多い。しかし、この地球に何百万も未記載種がいて、命名される前に絶滅しているものもたくさんいるなか、こういう方法で少しでも多くの人に虫に目を向けもらうのもいいと思う。こんな小さくてきれいなハチがいること自体、今回初めて知る人も多いはず。

また、写真公表で、先んじて記載されてしまう危険性の指摘もあった。これももっともな部分があるが、今回の件では現実性に欠く。新種のシーラカンスや恐竜じゃあるまいし、恥をかいてまで小さなハチでわざわざそんなことをする研究者がいるだろうか。ハチの記載できる能力のある人なら、各地の博物館にゴマンとある未記載種を扱うほうがよほど簡単であろう。

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