城計画5 サンルーム高温事件と近況
10月末、サンルームが出来上がってすぐに大半の植物を移動した。それまではベランダに並べていたが、気温の低下で弱り始めていたのである。一部のガガイモは15度を切ると極端に弱ってしまう。
サンルームの問題は、時に高温になりすぎてしまうことである。そこで、あらかじめサーモスタット付きの換気扇(パナソニックの200ミリのパイプファンを2つ)を取り付け、高温時には空気が抜けるようにした。また、電気式のパネルヒーターを置いて、夜間の保温とした。
それから移動の数日後、晴れた日にサンルームを見に行ったところ、なんと50度を超えている。サンルームを締め切っていたうえ、なぜか換気扇が作動していなかったのである。
また、室内に遮光ネットを張っていたが、これも少なすぎ、サンルーム 内の日差しも強い。そもそもガガイモは強い日差しに弱いのだ。
ガガイモを触ると熱い。日差しの強いところに置いたものは60度近くになっていそうだった。いくつかのガガイモは根元からグニャリと曲がっていた。
あわてて窓を開け、それから高温対策を考えた。まず、換気扇内蔵のサーモスタットがダメだったので、外付けのサーモスタットに取り替えた。次に遮光ネットを買い足した。また、窓を少し開け、空気が入るようにした。換気扇を回すだけでは空気がが抜けない。同時に外気が入らないといけないのだ。考えてみれば当たり前だが、気づかなかった。何事も経験である。
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いくつかのガガイモはその場でダメになったことが明白だった。とくに子苗がすべて昇天した。ここで10鉢くらいがダメになった。残りも全部ダメになるのではないかと焦ったが、大切な株の30鉢くらいを旧居に置いておいたのが救いである。
数日たって、すべてがダメになったわけではないとわかり、一安心。しかし、2週間後くらいに影響が見え始めた。一部の株で、高温で組織がダメになったところが、黒くなり始めた。高温障害である。また、強い日射と高温で白くなったものもあった。これはいわゆる「焼け」である。その影響で全体が枯れてしまったものでてきた。
興味深いのは、多くの高温障害が株の基部付近のみに生じたことである。そのおかげで先端や地中が命拾いしたものも少なくなかった。先端をさせばつくし、根元があれば新芽が出る。
またさらに数週間後、ひどいやけどを負っても、新芽を伸ばすものが現れた。小さなやけどで枯れたものもあるが、逆に生命力の強い種は強い。もともとの生息地の過酷さが関係しているのだろう。
結局、この事件で30鉢ほど失い、多数の株が高温障害や焼けを負った、いくつかは交換で入手した珍品で、かなりショックを受けたが、いい勉強になった。幸い、半分くらいの株は何の影響もなく、元気なままだった。
この頃は急に寒くなり、ダイニチの園芸用灯油ファンヒーターの「蘭」が活躍している。日差しが弱くなったので、外に付けていた遮光ネットを外した。多くのガガイモは元気に成長している。
多くの多肉愛好家は、冬季は水やりをやめて、半乾燥状態で、多少とも低温で越冬させている。しかし、越冬中の管理は難しいものがあり、ガガイモのいくつかは低温そのものに弱い。乾燥させすぎて干物になってしまうのも困る。そこで私は暖房をしっかりきかせて、成長させる方法を選んだ。
幸い、新居には強力な太陽光発電が付いていて、電気代はかからない。灯油だけ週に1500円くらい考えればよい。まだまだ課題はあるが、今のところ順調である。
城計画4 水槽部屋
マンションには大きな水槽があった。しかし、鉄筋だからこそ可能であったわけで、木造では床が抜ける危険性がある。なにしろ120センチ水槽だけで、台を合わせて300kgくらいあるのだから。
そこで、改装の際に、床を補強してもらい、ついでに防水の床タイルを貼ってもらった。
そしてできたのがこの部屋である。壁には水槽の魚と同種あるいは同属の魚の博物館を飾っている。
左端の水槽はアリアケギバチ。35センチほどに成長している。
城計画3 サンルーム建設
工事を急いだのには訳がある。ベランダのガガイモ(多肉植物)をいち早くサンルームに入れたかったのだ。
サンルームはLIXILやYKKなどの市販品がたくさんあり、そこから選ぶのが安上がりである。また、床面積が10平米を超えると建造物となり、設置にあたって建築申請が必要となり、少し厄介だ。したがって10平米を超えないものを作るのが簡単である。幸い、特注しない限り、市販品は最大で9.9平米になっており、それを選んだ。幅は2間(3.6メートル)で、奥行きは9尺(2.7メートル)のものである。
また、基礎のコンクリート土間をおねがいした。高さ40センチほどで、雨が続いても湿気が入りにくいようにした。
かくして、庭を拡張して、基礎を設置後、サンルームが完成した。
城計画2 やるべきこと、やりたいこと
新しい中古家屋はなかなか売りに出ないのだが、売りに出るには、いろんな家庭の事情がある。今回は転勤だった。売主の方も、まさか転勤するとは思わなかったのだろう。築はちょうど10年だったが、非常に大切に管理していたようで、ほとんどピカピカだった。その後、不動産屋さんに住宅診断をお願いしたのだが、作りもよく、全く瑕疵が見つからないほどだった。
さてさて、どんな家にしようか。とりあえずの希望は・・・
1.多肉植物用の広いサンルームを建てる。
2.庭で野菜を作る。
3.果樹と虫が来る木を植える。
4.池を作る。
5,室内に水槽部屋を作る。
ほとんど庭が主役である。すでに南の道路に面した90平米ほどの広い庭があったのだが、さらに3台ぶんの駐車場があり、その面積が無駄なのと、サンルームの配置に問題があるので、駐車場を1台分つぶして、庭を拡張することにした。庭は低いブロック塀で囲まれていたので、それを壊して、作り直すことになる。
サンルームは防湿管理のためにコンクリートの基礎が必要だし、空調のために屋外用の電源が必要だ。
水槽部屋は床を防水にして、床を補強しなければならない。
また、内部はきれいだが、壁紙を一部変えたい。
その他、庭の水道の場所を変えたりもしたい。
そんなこんなで、地元の住宅会社にリフォームを依頼することにした。
引き渡し(支払い)は10月末だったのだが、売主の方の許可をいただき、その1カ月前の9月末の本契約の後、すぐに工事を着工した。
城計画1 建築か建売か中古か
天神の町から歩いて帰れるマンションに住んでいた。狭いベランダで多肉植物を育てたり、部屋に大きな水槽を置いたり、畑をやりたいけど無理なので、郊外に農協の貸し農園を借りたりしてたら、住み続けることに窮屈さを感じてきた。もっと広い家で、温室を設置し、庭で農作業したい。庭に池を作ったり、虫の観察もしたい。
最初は借家を探していたが、なかなか出物がなく、勝手に温室を設置するのは難しいことがわかった。それでは家を買おうと思いたったのはこの春のことである。年齢的にローンが組める限界でもある。どうせなら自分の好きな間取りの一戸建てを建てたい。
それから土地探しが始まった。最初はどんな土地がいいのか見当さえつかなかったが、探しているうちに、金額の上限や、自分の求めている条件が見え始めた。すると、1カ月ほどで偶然良い土地が見つかった。それまでに何十ヶ所の物件に足を運んだだろうか。これだと思ったのは、駅に近い南に道路がある80坪の土地で、すぐに仮押さえをした。
次に、建築会社を決めて、間取りを決めて、設計と見積もりである。建築会社や不動産屋とやりとりし、いくつかの建築会社と繰り返し相談し、建築会社も2社に絞られた。人生最大の買い物であり、1カ月ほど熟考を重ねた。
ところが、いよいよ契約だというときに、私の仮押さえは反故にされ、より好条件で土地を買いたいという人に、数日早く売られてしまった。不動産屋の月末締めの焦りも災いした。これまでの苦労も水の泡。苦労して土地の値引き交渉や建築設計を進めてくれた建築会社の方になにより申し訳なかった。
福岡はとにかく土地がなく、これ以上の土地が見つかる気がしない。そこで、土地を買って家を建てるより、分譲か中古を買った方が確実だと思い始めた。
土地探しも継続しつつ、中古物件も探す。それからまた何十軒の見学をしただろうか。条件項目を削っていき、妥協点を見いだした結果、糸島市の駅からやや遠い場所で、しかし南向きの広い庭があり、まだ築の浅い中古物件が見つかった。
建物(上物)は築20年以上経つと無価値で、耐震性能の問題があるので、広い庭に加えて、新しい家が条件だったが、そんな家はなかなか売りに出ないのである。しかも、福岡の不動産はとにかく人気で、遅れると前回の二の舞である。糸島市はとくに人気だ。そのため、見に行って問題がないと判断し、その場で即決した。実際、私が仮押さえした直後に別の申し込みがあったという。危ないところだった。
かくして、移住に向けた作業が始まった。
3つの展示
6月一杯は3つの展示の準備に忙殺された。
1つめは、国立科学博物館の特別展「昆虫」で、監修者として5つのコーナーを担当した。
美しい昆虫
すごい形の昆虫
Gの部屋
好蟻性・好白蟻性昆虫
マダガスカル調査
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次に志摩歴史資料館で毎年担当している昆虫展示として、「昆虫にズームイン」
深度合成で昆虫の体表面を撮影して、多数の写真を標本とともに展示した。
志摩歴史資料館 夏季企画展「昆虫にズームイン!! 顕微鏡レンズで見る体表面構造」 - 糸島市
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そして、スカイツリーで行われる「大昆虫展」
ここではきらめく甲虫の標本を展示している。
ダサイとカッコ悪い
某テレビ番組の密着取材を受けたとき、私が何でも言えるようにと、毎晩宴会が開かれた。私は警戒しつつ、まずは相手のことを知ろうと、遠慮なく質問する。そして私も、酒の酔いも手伝って、自分のことを話さざるをえなくなる。結局、カメラマンのSさんとディレクターのKさんの三人で、お互いの胸の奥にある大切な経験や考えの多くをさらけ出すことになった。大人になってからそのような出会いはなかなかないはずで、他人、しかも二人もの人生の一端を知ることができたのは、今でも人生の宝物になっている。やはり他人の人生をほど興味深いものはない。
その際、カメラマンのSさんから聞いた言葉で、今でも胸に焼き付いているものがある。それは、「カッコ悪くてもいいから、ダサイ奴にはなりたくない」である。50過ぎのおじさんが卑猥な冗談の合間に何度も口に出したのだが、これを言うときだけは真顔になるのを私は見逃さなかった。「カッコ悪い」も「ダサイ」も字面ではほとんど同義で、そもそも他人の言葉の意味を完全に捉えるのは難しいものだが、あまりにも長く話したので、私にはよくわかり、共感できるものだった。
ここで言う「カッコ悪い」とは、なにかに失敗したり自分の弱さがふと出てしまうようなことである。悪あがきしたり、感情的になってしまったり、ついついやってしまう。一方、「ダサイ」とは、虚勢をはったり、謝らなかったり、ケチケチしたり、陰湿なことをしたり、つまらない正論を吐くことである。そこまでは仕方ないにしても、問題はそれらを平気でやってしまう神経である。とくにうっかり出やすいのは、嫉妬や羨望に起因した陰湿な感情である。これは恥として意識的に押し殺さないといけない。実はこの恥とはとても大切な感情の一つで、人によって規準はさまざまだが、この辺の感覚の重なりが、仲良くなれる人とそうでない人を分けるのではないかとも思う。
私の場合、「カッコ悪い」はしょっちゅうで、そのたびに恥ずかい思いをしている。そして悪いことに、たまに「ダサイ」をしそうになり、ヒヤリとすることもある。結果的には「ダサイ」をしてしまうのも人間の弱さになるけれど、してしまったとき、しそうになったときに、それを認識しつつ、そんな自分と戦える大人になりたいものである。私も40代半ばに差し掛かるが、どうせ大人になんてなれないのだから、大人になろうという気持ちは忘れないようにしたい。そしてダサイ大人にはなりたくない。
学名の命名権とイベント企画
今年の夏、国立科学博物館で、初の昆虫展が行われる。意外かもしれないが、初である。展示の題は、そのまま『昆虫』。どういう経緯で決まったのかは聞いていないし、なんのヒネリもないように思えるかもしれないが、「昆虫のすべてをみせてやろう」「うちがほんとの元祖だ」「うちが本気だすとこわいぜ」みたいな、気概が感じられる。ような気がする。
それで、私もこの展示の監修者に加わることとなった。主催の読売新聞とフジテレビに昆虫展の経験がなく、相談を受けたのがきっかけで、もともとお手伝いする予定だったこともあったし、結局いろいろなコーナーを担当することになったので、成り行きで監修者にご指名いただいた。この仕事に時間を割くための職場での立場もある。つまり正式に監修者となっていれば堂々と動きやすいということである。これまでの約10年、手探りで独自の昆虫展示を続けてきたが、その経験が人様の役に立つとは思わなかった。
それはさておき、今回の目玉企画に、来場者から抽選で、新種のハチの学名(種小名)に自分あるいは自分の好きな人の名前をつけるというものがある。つまり鈴木花子さんだったら、Xxxxus(属名)suzukiaeあるいはhanakoaeとなるわけである。現在、昆虫学教室の三田敏治さんが研究中で、良いタイミングで論文を出すことになっている。
実は今年の3月のマダガスカル調査は、この企画の関連で行った。企画のための新種の虫を探そうというものである。本当は私の専門のハネカクシあたりで新種を見つけようと思ったのだが、それはふるわず、同行の三田さんの専門のセイボウで顕著な新種が見つかり、結局それをこの企画に使わせていただくこととなった。
この企画の趣旨は、主催者側としては、展示を盛り上げようというイベントの一環である。それは言うまでもないだろう。いっぽう、こちら(研究者)としては、これをきっかけに多くの人が展示を訪れ、昆虫に興味を持ってもらえればということと、さらに滅多に正確な報道がなされない学名の命名について知っていただく、ひいては分類学というものについて学んでいただければという思いがあり、双方の同意のもとに進められることとなった。生きものが好きな人にとってみれば、学名に自分の名前が残るなんて、一生の思い出に残る夢のある企画だと思う。
実はこういった学名の「命名権」のやりとりについては、一見斬新に思えるかもしれないが、欧米では珍しくなくなっている。それが有償であれば、その資金をもとに、研究を行ったり、生息域の保全を進めたりしていることも多い。しかし、おそらくだが、日本ではこれまでにそのような事例はなかった。
初めてのことは必ず批判を受ける。予想はしていたが、この企画にも反対の声があるようだ。当初はわれわれもそのような批判を恐れて、この企画への参加に逡巡したが、幸い、私の周囲の研究者は好意的な意見ばかりで、欧米での実例を知った上で、分類学の生き残る選択肢として必要という声も少なくなかった。実際のところ、反対の声の多くは「命名を景品みたいに使うべきではない」といった感情的なもので、そこに合理的な理由はまったく見当たらない。(われわれがこの企画を進めるにあたって、本当になにか問題があるのであれば、ぜひご教示賜りたい。)
動物命名規約(分類群名に関する法律+紳士協定みたいなもの)というがあって、それに反するのではないかとの指摘もあった。今回の件の是非の問題からは逸れるが、分類学的貢献のない人に命名してはならないという内容は命名規約にはない。また、家族や恋人の名前を学名に使って無名雑誌に発表している研究者も非常に多い。それが悪いとは言わないが、そんなことよりも、こういう機会を利用して、多くの人に昆虫のことや分類学のことを知ってもらった方が、ずっとずっと有意義かつ「公的」ではないかとも思う。
見事な未記載種を見つけ、研究してくださっている三田さんには感謝したい。分類学では、ある種を未記載(まだ名前が付いていない)と判定するのが研究の一番の難所で、一番の価値あるところである。
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その後、意見があり、学名にはその種の特徴や発見地名、発見者名を付けるべきというものがあった。たしかにそれが理想的であり、多くの研究者が原則そうしていることが多い。しかし、この地球に何百万も未記載種がいて、命名される前に絶滅しているものもたくさんいるなか、こういう方法で少しでも多くの人に虫に目を向けもらうのもいいと思う。こんな小さくてきれいなハチがいること自体、今回初めて知る人も多いはず。
また、写真公表で、先んじて記載されてしまう危険性の指摘もあった。これももっともな部分があるが、今回の件では現実性に欠く。新種のシーラカンスや恐竜じゃあるまいし、恥をかいてまで小さなハチでわざわざそんなことをする研究者がいるだろうか。ハチの記載できる能力のある人なら、各地の博物館にゴマンとある未記載種を扱うほうがよほど簡単であろう。
忙しいとバカになる
ここ数カ月、本当に忙しい。「忙しいという字は心を亡くす」とはありきたりの言い方だが、事実としては言い当てている。毎日慌ただしく仕事を片付ける。頭を使う場面もあるが、多くは創造性と無縁である。経験上、こういった忙しさが続くと、なにも思いつかなくなる。とくに文章が書けなくなる。何かを思いつくにはボケっーと何かとりとめもないことを考える時間が大切である。「ネガティブなことを考えるのは暇人である」などと言う意見も聞くが、ネガティブでもポジティブでもなんでもいい。とりとめもない考え事というのは、パソコンのディスクのクリーンアップみたいなもので、新しくできた余地に初めて新しい考えを創り出すことができるものだと思う。そんなとき、釣りだとか畑仕事は、ボーッとしながら考え事をする良い機会になる。締め切りがあっても、結局は生産性につながるのだから、そういうことに時間を割くのは大事なことだ。また、寝るのも大事。寝る前にボーッと考え事をして、朝になるとまとまっていることも多い。私は8時間くらい眠らないとダメなのだが、だからこそ睡眠不足のときの非生産性は身にしみて感じる。社会全体に忙しくなり、ろくに眠れていない人もたくさんいる。そうなると、社会全体の創造性はどうなるのかと心配になる。