断虫亭日乗

過ぎ去る日々の思い出をつづるだけ

虫の本を書くわけ

ここ数年、切れ目なく本を出し続けている。今年も数冊が出る予定だ。

本を書くということには、昔から憧れがあった。それは単純に本というものが好きだからである。今でも形になった自分の本を手に取る瞬間は嬉しい。

最初に出した本は『森と水辺の甲虫誌』で、編著者にさせていただいた。これは単に本を出してみたいという希望とともに、就職にあたって1冊くらい本があったほうが有利であろうという、いま思えばしたたかな戦略によるものでもあった。

それからしばらくして、その本をきかっけに仲良くしていただいていた東海大学出版部の稲さんが、若手の野外調査中心の研究者の本を企画したいとのことで、「フィールドの生物学」シリーズとして、『アリの巣をめぐる冒険』を書かせていただいた。自分が30半ばになる折り返し地点として、とても力を入れて、2年近くをかけて文章を書いた。

この本は他社の編集者の方々にも評価をいただき、丁寧に書いた甲斐があったものだと思った。その数年後、この本を読んだというフリーの編集者から声をかけていただき、『昆虫はすごい』という題で何か書いて欲しいと依頼された。これが思いのほかよく売れ、その後、さまざまな執筆依頼が加速的に増え、ちょっとした人生の転機となった。

数年前に『情熱大陸』に出たのは、大切な思い出であり、これは『昆虫はすごい』のヒットの後だが、私を選んだディレクターの方は、『アリの巣をめぐる冒険』を読んで出演を依頼しようと決めたという。そういう意味でも、いままでたくさんの本を出しているが、『アリの巣をめぐる冒険』は自分にとって特別な意味を持つ本である。

いろいろな本を出していると、全国の虫が好きな子供からたくさんの手紙が来るようになった。私は自身が幼稚であるため、昔から子供との距離感が難しいところがあって、子供との付き合いはどちらかというと苦手だった。しかし、私も当然虫が大好きな子供だった。子供たちからの手紙を読むと、幼かった自分のわくわくとした気持ちにも重なり、とても嬉しい気持ちになるとともに、何よりの励みとなった。それからイベントなどで子供と話す機会も増え、苦手意識のようなものはあまりなくなっていくと同時に、むしろ楽しくなっていった。

そこへ来て、こんどはNHKラジオの「子ども科学電話相談」の出演依頼が舞い込んだ。私が子供のころ、文字通り穴があくほど、本当にボロボロになるほど読んだ図鑑の著者、矢島稔先生の後任にあたるそうで、緊張もあったが、それ以上に飛びあがるほど嬉しかった。このラジオ出演は、実に難しい仕事ではあるが、本当に楽しく、とてもやりがいを感じている。

本の話しに戻るが、そういう状況で、本を書く目的が変わりつつある。本を出す単純な喜びよりも、子供を中心とした読者に対しての普及啓発を目的としたいという気持ちがより強まってきたのである。展示に関しても同様で、以前は自分の満足のために一つの作品を作るような感覚があったが、いまではより多くの人に虫のことを知ってほしいという気持ちのほうが大きくなってきた。

私のような仕事をしていると、昆虫に理解がある人ばかりに囲まれ、世の中は昆虫好きばかりなのではないかと錯覚しそうになる。しかし、少し冷静になれば、そんなことはないとすぐにわかる。日本人はまだ虫好きが多く、好きではなくても無関心だったり、苦手ではないという層がかなりいるが、昆虫のことをよく知らないという人が大多数だし、嫌いだという人もとても多い。

生き物に対する無関心や無理解を背景とした悲しい出来事はとても多い。喜ばしいことのように報じられるニュースも、実際はある生き物の生息地の開発だったり、希少種の乱獲ということもなくない。昆虫は言うまでもなく身近な生き物で、生き物に対する関心や理解を深める大切な入り口の一つである。そういう意味で、昆虫のことを多くの人に知ってもらうのは、とても重要なことである。

もちろん、みんなに虫を好きになって欲しいとまでは思わない。土台無理な話しだ。しかし、たとえ嫌いであっても、少しでも無理解を減らしてもらうことが大事だと思っている。同時に、さきほどの「好きではなくても無関心だったり、苦手ではないという層」に期待もしている。私の本を読んで、虫に興味を持ったとか、虫が好きになったという手紙をいただくことも多く、そういうときは本を出して良かったとつくづく思う。そういう人たちは、「好きではなくても無関心だったり、苦手ではないという層」だったに違いない。さらに、そういう大人になって虫好きになった人と話すと、長年虫採りをやってきた人よりもむしろ、環境や昆虫のこと、普及啓発の大切さを真剣に考えていることも多い。

普及啓発のような仕事は、大学ではなんの業績にもならないし、研究一筋のような研究者からは、良く思われないこともある。私も大学教員になってすぐは、研究こそ自分の任務だと信じていて、研究以外のことに時間を割く研究者を軽蔑していたところもある。しかしこの歳になって、それぞれの研究者に役目があり、思い上がりかもしれないが、出版物やマスメディアを通しての普及啓発は自分の研究者としての役目ではないかと思うようになってきた。そしてここ数年、本を書くということは、そのなかで一番大事な仕事の一つだと思っている。

もちろん、普及啓発にもいろいろあり、昆虫に関しては、昆虫館や博物館、各地の同好会などの活動は非常に重要だと思っている。最近では昆虫関連のグッズを作る方も増えていて、ますます裾野が広がっていて、実に素晴らしいことだと思う。

年配の研究者や虫屋のなかには、昆虫は嫌われ者だと決めつけ、普及啓発を軽視する向きもある。しかし、昨年の科博の昆虫展の40万人という驚異的な人出や、昆虫大学というイベントの混雑ぶりをそういう人に見てほしい。やはり昆虫の普及啓発は意義深いはずだ。

45歳を目前にいろいろ考えることが多い。もう折り返し地点は過ぎた。展示を含む雑感は、『昆虫大学シラバス』にも書いている。夏までは書籍や展示の仕事に忙しいが、今年からは研究にも復帰したいと思っている。